大スターの笠置がひばりをいじめたという逸話の真相
年配の方の中には、笠置の持ち歌であるブギを歌う11歳の美空ひばりを、笠置シヅ子が何かといじめた……などと記憶する人もいる。真相はどうなのか。
これに関して生前の笠置が、自伝はもちろん雑誌等のインタビューにも答えた記録はない。しかし『ひばり自伝』には、そのへんのことが詳しく綴られている。
ひばりは昭和23年(1948)、高知県での旅公演で九死に一生のバス事故に遭い、なかば引退状態だったが、ひょんなことから横浜国際劇場に出演することになった。そこからは、とんとん拍子に日劇小劇場、日劇大劇場出演とステツプアップしていった。
日劇大劇場出演は昭和24年1月、歌手・灰田勝彦主演の「ラヴ・パレード」で、これに三人三様の娘がからむという趣向である。
ひばりは三人娘の末っ子で、主人公の恋のキューピッド役を演じ、劇中で笠置の持ち歌「ヘイヘイブギー」を歌うことになっていた。そのため、ひばりはこの歌の作曲者・服部良一のもとに3日間通ってレッスンを受けていた。
事件が起きたのは初日の幕が開く5分前のことだった。日劇近くの有楽座で公演中の笠置から、「わたしの持ち歌である『ヘイヘイブギー』を歌うことはまかりなりません」とクレームが入ったという。
ひばりの公演初日に笠置が「ヘイヘイブギー」を歌うなと禁止?
ひばり自身、「心臓がとまるような」申し入れだ。演出家を含め鳩首協議をしたものの、そう簡単に結論は出ない。その場面と歌をカットするわけにもいかない。ひばりは悲しくなって涙をポロポロ流しながら「それではやめます」というしかなかった。作曲者の服部良一が許可しているのになぜ? という思いもあった。
ひばりの母・喜美枝も「そう、それではおろさせていただきます」と同調する。ひばりがよく歌っていたブギと正反対の「星の流れに」のような曲では、そもそも芝居が成立しない。
「困ったなあ……」という関係者の中の誰かから「もう一度、有楽座へ電話してみよう」という声が上がった。関係者が事情をよく説明したせいか「笠置さんは態度が軟化して『ヘイヘイブギー』はダメだが『東京ブギウギ』ならいいといってます」となった。
ひばり自身は「東京ブギウギ」では、バンドと音合わせもしたことがない。それもオーケストラボックスにいるバンドと曲の出を、ぶっつけ本番で合わせるのは至難の業である。
事実、ひばりは本番では出だしの「トオキョ」の演奏に遅れてトチッている。