空の旅は、まだまだ日常の延長線上とはいかなかった頃の話だ。1966年6月のビートルズの来日は、後世に残るJALの輝かしい歴史になる。羽田空港で見せたJALと染め抜かれた法被を羽織る4人の姿は話題になった。

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JAL公式絵葉書より。DC-8のワゴンサービス。

また「音速に近い日本の穏やかな美しさ」と題するJALのパンフレットによると、カーペットは枯山水の砂をイメージした作りとなっており、シートの生地は、西陣織で松の木をモチーフにしているという。カーテンには菊の花がデザインされ、荷物棚には亀甲模様が施された。

ラウンジは畳のようなじゅうたん敷きだった。窓には障子が取り付けられ、日本画家・前田青邨が描いた装飾画が飾られている。このように、機内のいたるところで「日本風」が強調されていることが分かる。モデルとなる旅客は全て西洋人であり、国際線ならではの難しい集客の苦労が垣間見れる。

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JAL公式絵葉書より。DC-8ラウンジのサービス。

機長がサインした「日付変更線通過証」「北極通過証」

当時の機材導入のペースは早く、1954年の就航開始から6年で3機の機体が登場したことになる。ファーストクラスのさらに前方の操縦席との間に4人向かい合わせのラウンジが設置されていた。羽田空港の整備格納庫内には、DC-8-32最初期型JA8001「FUJI」号のラウンジを含む機首部分が保存されている。

「日本のつばさ 日本航空のご紹介」の冊子ではこう書かれてある。

「お客様の旅のつれづれをお慰めするための碁、将棋、チェス、チェッカー、トランプ等が取り揃えてございます。特にお子様のためにお人形、紙風船、クレヨン、画用紙とピクチュアパズルなどもあります。(中略)前の座席のポケットには、いろいろのパンフレット、時差通貨の換算表、メモ用紙、絵はがき等の入った『フライト・キット』が入れてあります。また、海外旅行の記念としてご搭乗機の機長がサインした、美しいデザインの『日付変更線通過証』、『北極通過証』をご希望のお客様にお送りしています」

航空機の旅がまだ夢の体験だったころの話だ。長時間のフライトに備えて多くの娯楽がそろえられていたことも興味深い。

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1964年、DC-8-53(JA8007)Yoshino号のフライトで配られた日付変更線通過記念証。