脱衣から着替えまですべて小姓がやってくれる

政務を終えるとしばしかえでの間でくつろいだが、その後ろに御用の間(四畳半の座敷)があり、大切な考え事をするときはここに籠もった。座敷には簞笥があり、中に将軍自筆の書類や目安箱の意見書、諸大名に与える判物はんもつなどが入っている。この部屋で花押かおうを書き朱印を押した。

午後5時からは入浴時間になる。将軍は風呂場に行くだけで何もしない。服を脱がせることからはじまって、身体を洗うことから着替えるまで、すべて小姓がやってくれるからである。

午後6時頃から夕食となる。おかずは9品出たが、全部は食べきれないので、箸をつけるだけのものも多かったという。

その後はまた自由時間になり、読書や娯楽など好きなことをして過ごし、夜10時頃に就寝した。なお、大奥へ渡り、御台所や側室と過ごし、そのまま泊まる場合もあった。

大奥は本丸のほか西の丸、二の丸にもあった

大奥は、江戸城の中にある将軍の妻子が住む区画である。ただ、広義には大奥と呼ばれる場所は、江戸城に三つほど存在する。あまり知られていないが、本丸、西の丸、二の丸それぞれに大奥があったのだ。

本丸御殿の大奥には、将軍の妻子が住んでいる。西の丸の大奥には、将軍の跡継ぎ(世嗣)とその妻子、あるいは大御所(将軍を引退した人)とその妻子が住んだ。二の丸の大奥には、将軍の生母、前将軍の正妻や側室などが生活していた。

ただ、一般的に大奥といった場合、やはり本丸御殿にある大奥をさす。

江戸城の本丸御殿は、大きくわけて表・奥(中奥)・大奥という三空間からなる。

国立歴史民俗博物館所蔵「江戸図屏風」部分(画像=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

面積でいうと、このうち大奥は御殿全体の約6割を占めていた。

ちなみに「表」は、幕府のさまざまな儀式をおこなったり、将軍が諸大名と対面する空間であった。「奥」は、将軍の執務室であるとともに、将軍が日ごろ生活する居住空間である。「大奥」はさらに「奥」の先に位置する。