「勝利の喜び」だけを求めるのならジャンケンでもいい

これとは反対に、勝っても不満が残る試合もある。ミスばかりで思うようなプレーができない場面ばかりの試合は、フラストレーションが溜まる。ラグビーなら、ノックオンの連続、ダイレクトタッチなどのキックミス、ここぞというシチュエーションで相手にジャッカルを許す、ゴールキックを外しまくるなどのミスが続く試合は、流れが途切れるから観ていてつまらない。集中力の欠如や気概が感じられない試合は、たとえ勝ったとしても消化不良の余韻を残す。

相手のミスに助けられ、かろうじて勝っただけの中身に乏しい試合と、負けたけれど見どころが多く内容が充実した試合。あなたはどちらを観たいと望むだろう。一概には答えられない難しい問いかけではあるし、ビギナーとコアなファンでは答えが分かれることも容易に想像がつく。両者のあいだに明確な線引きをするのは意外にも難しい。

ちなみに私は、負けても内容が充実した試合を迷いなく選ぶ。勝ってほしいのはいわずもがなだが、たとえ負けたとしても「いい試合」が観たい。思わず身を乗り出す場面が散りばめられた試合の方が断然いい。

勝利がもたらす喜びだけを求めるのなら、くじ引きをすればいい。あるいはジャンケンでもかまわない。プロセスをすっ飛ばし、瞬間的に勝敗が決まるのだから手っ取り早い。極論すれば、勝利至上主義とは、くじ引きやジャンケン的な勝負を好む心性である。あたりまえだが、すべてのスポーツには勝利に至るまでのプロセスがある。それを楽しまずしてなにを楽しむというのだろう。まずはプロセスがあり、次いで勝利がある。

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負けようとして試合をしている選手はいない

現役時代を振り返れば、いまでもすぐに思い出せるほど脳裏に焼きついた悔しい試合がある。2002年に行われた第39回日本ラグビーフットボール選手権大会の決勝戦だ。前年度の優勝チームとして連覇がかかったこの試合は、ほとんどキックをせずボールをつなぎまくるランニングラグビーのサントリーに17–28で敗れた。

プレースキッカーを務めたものの3本中1本しか決めることができず、グラウンド中央からの比較的イージーなキックすらも外した。ペナルティからのタッチキックもインゴールタッチになり、好機を逸した。トライを奪うのが役割のウイングなのにノースコアで、その他のプレーもミスばかりだった。おまけに後半途中にはタックルした際に脳震盪を起こし、それ以降の記憶はいまでも途切れている。

懸命にプレーしながらも結果が伴わないもどかしさ、「こんなはずではない」という焦りはパフォーマンスを低下させ、まるでゼリー状の空間に包まれたかのようにからだが重くなる。

試合終了のホイッスルが鳴ったあとは、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。チームメイトの顔を直視できなかったし、観客には頭を垂れるしかなかった。「戦犯」にされても仕方がないと腹を括っていたにもかかわらず、チームメイトは面と向かって私を責め立てなかったし、観客からも直接的には罵倒を浴びせられなかった。自分で自分を叱責し続けたものの、敬意を持って接してくれたチームメイトや観客のお陰で救われた。捲土重来を果たすべく次の試合に向けての意欲はむしろ高まった。