観客にも「勝利至上主義」が蔓延している

だが、応援の過熱はサッカーだけの問題ではない。国際政治学者の六辻彰二氏によれば、ヨーロッパのラグビーリーグでは、フィールドに花火を投げ込んで乱入する、相手チームのファンと乱闘をするなどといった問題が起きているという。その背景には社会に不満を持つ若者の存在があると指摘する。

比較的温和なラグビーにおいても応援の過熱が見られるようになったのには驚きを隠せないが、社会のありようと連動してスポーツの応援が過熱するという六辻氏の指摘を真摯しんしに受け止めれば、いずれの競技においても過熱化を予防するための思索を講じなければならない。

スポーツの応援が過熱する理由については本欄で以前にも書いたし、先日発売された拙著『スポーツ3.0』(ミシマ社)にも詳述した。そこから抜粋すると、応援の過熱は「勝利効果」やミラーニューロンなどの身体的な反応およびファンと選手の非対称性が原因だ。さらに付け加えれば、「応援の過熱」とは、ファンや観客など観る者のあいだにも勝利至上主義が蔓延していることの表れともいえる。勝利がもたらす興奮を得られるかどうか。それだけを追いかける態度は、まさに勝利至上主義といえよう。

見応えが「負けた悔しさ」を上回る試合はたくさんある

スポーツ観戦がもたらす喜びとはなにか。これをよくよく考えれば、私たちスポーツを観る者は勝利だけを望んでいるわけではないことがわかる。

勝った試合を観れば満足するのは当然だ。だが、たとえ贔屓チームが負けたとしても、気迫がこもった戦いぶりを見せてくれればそれなりに満足しているのではないか。負けた悔しさを凌駕するほどに見どころのある試合だったのなら、多くの人は充実感を胸に試合会場をあとにできるだろう。

先に述べたラグビーW杯のイングランド戦が、まさにそうだった。

ラグビー発祥国であり、過去一度も勝ったことのない相手に肉薄したその内容は秀逸だった。互角以上に渡り合ったスクラム、PGをすべて決めたSO松田力也選手の集中力と勝負強さ、SH流大選手の意表をつく背面キック、WTB松島幸太郎選手の卓越したランニングなど、思わず拳を握り締める場面はたくさんあった。なにより終盤まで勝敗の行方がわからないほどの拮抗きっこうした展開に、観戦後はこの上なく高揚した。

負けたのだからもちろん悔しい。勝ってほしかったのはいわずもがなである。だからそれなりのわだかまりもあるし、名残惜しくもある。でも、それ以上に見応えがあった。

笑いながら「惜しかったなあ」と口にできる余裕が、試合後の私の心にはあった。あのイングランド戦を観たファンのほとんどは、おそらくそう感じていたはずだ。少なくとも私の周りには、互角だったスクラムや松田選手のキックなどの場面について、明るい表情で語る人ばかりだった。

負けても十分に試合を楽しめるのだ。