「早く産むべき」ムーブメントの瑕疵

2000年を過ぎたあたりから、盛んに女性識者や行政による「早く産むべき」啓蒙が続いてきました。ところが、初婚年齢も第一子出産年齢も、それから20年、上がり続けています。晩婚・晩産を止めることはできなかったという事実がまずあります。

それでも2015年以降は、晩婚・晩産化のスピードが落ちていることから、「抑止力はあった」という声も聞かれそうですが、この話も私は首肯できません。晩婚・晩産の大きな要因として、「女性の大学進学率の上昇」があり、それは2005年に45%を超えたあたりからスピードダウンしています。こうした要因により、結婚出産年齢の上昇を緩やかにしているという側面があるからです(進学率は18歳時点なので、その10数年後に結婚・出産への影響が出る)。

ひいき目に見ても、「早く産むべき」論は抑止効果が関の山で、それさえも、ひとしきり常識化した今は、出尽くし感があり、結婚・出産年齢は高止まりしているといったところでしょう。

一方で、この「早く産むべき」論により、「早く嫁げなかった」人たちが諦める傾向が、図表2から見て取れます。

30代は前半・後半いずれでも未婚率が大きく上昇し、それはいまだ天井知らずの勢いです。結果、生涯未婚率の急上昇を招くことになりました。

そう、つまり「早く産むべき」論は、小さな晩婚抑止効果しかなく、逆に大いに縮小均衡を促したと振り返れるでしょう。

そもそも、大卒22歳から仕事を覚え、恋をしていたらすぐに30歳になってしまうのです。その間に、うまく相手に出会えない人も多いだろうし、不幸な失恋も多々あるでしょう。そうして30代前半で未婚になってしまった人たちに、「早く産め」論者はどんな言葉をかけるのでしょうか? まさか、「自己責任だ」と突き放すわけにはいかないでしょう。

すでに、30代前半の未婚率は約4割(38.5%)にまでなっています。早く産め論のみなら、4割の女性は、焦燥と自責と諦めといった暗い人生を余儀なくされる……。

早く産むべき論はすでに限界であり、もっと希望が持てる示唆を考えるべきでしょう。