行きはよいよい…

助けに行った人が溺れる原因は、砕波帯の沖が「深い」「戻れない」ところにあります。

砕波帯の沖であれば、波の波長は長くなるので、浮き具につかまって浮いていれば呼吸は確保できますし、なくても画像1のように背浮きをしていれば、呼吸は十分確保できます。だから「ういてまて」という考えで、とにかく救助を待っていれば、すぐに命を落とすことはありません。

それに対して、子どものそばに泳いでいく親の心境は「助けたい」が多かったのではないでしょうか。浮き輪や救命胴衣を探し出して身に着けるようでは「子どものところに早くたどり着きたい」という気持ちに逆行するし、とっさの事故だと、救命胴衣を着てから水に入るという発想になかなかならないことでしょう。

距離にして30メートル程度です。小学校の時に泳ぎの経験があって、少しの自信があれば行けない距離ではありません。大方の大人は子どものところにたどりつくと思います。

ところが、そこから岸に戻ることがなかなかできないのです。水難事故の入水救助は「行きはよいよい帰りは怖い」なのです。

助けに行った大人はなぜ溺れるのか

画像2をご覧ください。このイメージは、浮き輪で浮いているお子さんを、大人が引っ張って岸に戻ろうとする、その瞬間を描いています。浮き輪で浮いているとはいえ、そのお子さんを引っ張って岸に向かって泳がなければなりません。

提供=斎藤秀俊さん

大人はどうしたらいいのでしょうか? お子さん1人を引っ張ると、片手がふさがります。お子さん2人なら両手がふさがります。両手がふさがってしまえば、大人は泳ぎながら呼吸することすらままならなくなります。

砕波帯の沖では、海底が急に深くなっています。つまり、お子さんが救助を待つ場所では、大人の足が海底に届かないことが普通にあります。

このような所では、立ち泳ぎができない限りは1分も浮いていることができません。呼吸することができません。ここで助けに向かった大人が「ういてまて」と気持ちを切り替えれば、背浮きになってとにかく呼吸を確保することができます。しかし、そう気持ちを切り替えられず、助けようとしてしまうと、一気に危険な状態に陥ります。「小学生の時に泳げた」のと「今日、立ち泳ぎで浮ける」のとは根本的に異なるのです。

たった30メートルくらいの距離でも、海岸の先の方では画像2のように極めて厳しい現実が待っています。

親が「救助」という考え方を切り替えない限り、親子一緒の生還は難しいのです。