妹の結婚式

夫との離婚が成立したとき幕内さんは29歳になっていた。母と異父妹から日々暴言「死ね、出ていけ」と暴言を受け続け、家を出たのが19歳の秋のことだった。それから10年近くの歳月が流れた。

26歳の妹のハワイでの結婚式に招待された。過去のいきさつからも参加には躊躇もあったが、ひとつ屋根の下で暮らした肉親の晴れの舞台に行きたいという気持ちが勝った。ただ、旅費も宿泊費も出せる状況ではない。事情を話すと、あれだけ嫌がらせをしてきた母親(当時55歳)が「全部出してくれる」と言う。

幕内さん自身は結婚時に挙式をしておらず、母親と妹とは家出以来、会っていない。約1歳の娘と、2歳ちょっとの息子を抱えての移動は容易ではなかったが、久しぶりに母親と妹に会えるのを楽しみにしている自分がいた。

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ところが、結婚式は親子断絶をさらに深める結果となってしまった。

ホテルに到着し、プールがあることを知った幕内さんは、母親に、「息子とプールに行ってきていい? その間娘をみててくれる?」とたずねる。母親が了解したので、幕内さんは1時間ほど部屋を離れた。

しばらくして部屋に戻ると、乳幼児である娘が1人、ベッドに置き去りにされて泣いていた。しかし幕内さんは、事を荒立てないために、「娘はもう寝返りできるから、気を付けてあげてね」とだけ母親に言った。

その翌日の夜、幕内さんはポートランドからハワイに引っ越した友人と会う予定だったため、母親に子どもたちをみてくれるようにお願いして出かけた。

2〜3時間後、部屋に戻ると、娘がベッドと壁の間に挟まって泣いているところだった。慌てて駆け寄った幕内さんが、「寝返り打つから、ベッドに置き去りにしないでって言ったじゃない!」と抗議すると、「もう1回落ちた」と薄笑いで言う母親。

「『頼んだ私が悪かった』と後悔しました。翌日、息子と散歩に行く前に、母に娘を預けようと思ったのですが、『私はあんたの子どものベビーシッターをするためにわざわざハワイまで来た訳じゃない』と断られ、最終日には、『あんたは全然何も変わってない。情けない子だ』と言われ、失意のどん底でオレゴン州に戻りました」

帰ってからまもなく、母親に妹の新居や連絡先を聞くと、「妹ちゃん、お姉ちゃんとは話したくないって言ってる」と言われ、妹の新しい住所や連絡先を教えてもらえなかった。仕方がないので幕内さんは、母親宛てに妹宛ての手紙を送り、妹に渡してもらうよう母親に頼んだ。

数日後、妹から届いた手紙には、「犯罪者の父親のことは消してしまいたい過去なのに、お姉ちゃんだけが忘れさせてくれない。お姉ちゃんの実父が一度だけお菓子を送ってきたとき、宛先にはお母さんとお姉ちゃんの名前しかなかったことも傷ついた。子どものころ、お互い喧嘩で“お前は不倫で生まれた子どもだ”“お前は泥棒の子どもだ”と言い合ったことも忘れられない。もう、一生関わりたくない」とあった。

「妹から絶縁された理由として、思い当たることと言えば、私が母に、『妹の旦那は父親の事情を知ってるの?』と聞いたことくらいです。母に『なぜ私が妹から絶縁されなくてはならないのか』と聞いてものらりくらりとかわされて、いつしか『ハワイでお姉ちゃんがいらないことを言ったから。全部お姉ちゃんが悪い』ということにされていました。母がどういう伝え方をしたのか、妹が悪いように捉えたのか、真相はわかりません。それ以降、もう20年以上、妹と連絡を取っていませんから……」