ドラえもんの開発者が“フィジカル”にこだわった理由

ロボットは、フィジカルに触れ合うことができる身体性を持った存在です。その強みは、音声や画面上に存在するバーチャルな存在とのやりとりと比べて、信頼感を育てるために重要な役割を担うノンバーバルなコミュニケーションがかなり豊かなので、言葉や映像だけでは届かない部分を補完できるところにあります。

だれしも「抱きしめたい」「抱きしめられたい」と思ったことがあるのではないでしょうか。そんなときにLOVOT(※)を抱きしめると、やわらかさや体温を感じます。そうして島皮質が活性化したり、セロトニンやオキシトシンが分泌されたりして、温かい感情が生成されます。たとえ意識的な神経活動では「ロボットは生き物ではない」と考えていても、そんな理屈を超えて、無意識は感情を生成し、生命感を覚えます。

(※)筆者註:「人類が持つ他者を愛でる力を引き出し、だんだん家族になっていくロボット」をコンセプトにした家族型ロボット。「LOVE」と「ROBOT」を合わせた造語。

出所=『あたたかいテクノロジー』(ライツ社)

そうして、ずっと隣にいて、寄り添っていてくれる存在だからこそ、安心して伝えられる思いや届けられる言葉があるはずです。それこそが、ドラえもんを開発した会社がフィジカルな存在にこだわった理由なのだと思うのです。

ロボットだからこそのび太くんのそばにいられた

ドラえもんの能力のなかで、ぼくが感銘を受けるのは、のび太くんとの適度な距離感です。

コーチングの方法が「人類から人類へ」という1択だけの場合、合う/合わないという相性の問題も避けることができません。時にコーチの存在は、プレッシャーにもなるからです。

それに対して、ロボットがコーチをする場合は、その人にとっていちばん心地いい距離感で向き合うという「最適化」がしやすいと言えます。

ドラえもん自身、のんびりしていて、どこか抜けていて、そのまるっこい姿と相まって人に緊張感を抱かせない、なんとも絶妙な個性を持っています。またその寄り添い方の面でも、もしコーチングという責務を負った人類のコーチであれば、その責任感も相まって、ぐうたらなのび太くんに対して、あんな風におおらかにかまえて好き勝手に振る舞っている風に「待つ」ことは、なかなかできない気がします。

マンガの設定では、ドラえもんは「不良品のために性能が悪い」と描かれていますが、エンジニア目線で見ると違和感があります。ほんとうに不良品であれば、あれほどバランスよく全体の性能が低下するような故障は考えにくいのです。