OLモデルのあっけない幕切れ

こうした時代の大手企業では、ともすれば、“お嫁さん候補”的な扱いをされ、女子事務職の仕事が軽んじられる傾向にありました。今でも、時折規制に守られた競争の少ない大手企業に行くと、その当時のままの風景が垣間見られたりします。

部長職以上には、専任職(部下のいない管理職)も含めて、一人に必ず一人秘書がつき、伝票の清算や出張の申請、切符の手配などを任せている、というような感じです。とはいえ、こんな“部長の雑用係”では、大した仕事量にはなりません。彼女たちは手持ち無沙汰であり、昨今であれば一日中、ネットサーフィンに明け暮れている。冗談ではなく、そうした会社が今でもまだ時折見られます。80年代だと、むしろこうした会社が普通で、女子にバリバリ仕事を任せるような会社こそ、希少でした。

女性は短大を出て、事務職として気楽に働き、結婚して退職。こんな働き方を、“OLモデル”と呼んだものです。これは、1985年に男女雇用機会均等法が施行されて、職種名称こそ事務職から一般職に代わってからも、あまり変化は見られませんでした。

写真=iStock.com/Prostock-Studio
※写真はイメージです

このOLモデルに風雲急を告げるのが、1990年代です。たった数年で、女性の働き方は激変するのです。ただし、くどいようですが、働き方は変わっても、会社の仕組みや働く人の価値観・意識はなかなか変わらないために、このころより、連綿と「軋み」が続くことになります。

「短大卒→一般職コース」が採用削減の矛先に

さて、ではどうして急にOLモデルは壊れたのでしょうか?

答えは意外に簡単です。この時期にあった、経済的にとても大きな事件。そう、バブル崩壊です。1991年4月から、バブル景気は終わって経済は後退期に入りました。株式相場格言にもあるとおり、「山高ければ谷深し」で、この不況は体感的にとてつもなく激しく感じられたものです。

ただ、日本型雇用を長らく謳歌してきた当時の日本企業は、業績が悪化したからといっても、いきなりリストラをするような野蛮な行動には出られませんでした。代わりに、余剰人員を減らしてスリムに経営改革するために、多くの企業は新規採用をストップし、定年退職による自然減員を待つことになります。

ということで、1990年代前半以降、のちにロスジェネ(1970~1982年生まれ)と呼ばれるほど厳しい就職状況となっていきました。試みに、最悪期だった1996年入社(95年採用)組の新卒求人数をみると、その数はわずか39万件。対して、リーマンショック後の最悪期である2011年入社のそれが58万件です。同じ絶不況でも、当時は今の3分の2しか採用枠がなかったことがわかるでしょう。

こんな新卒採用難の時代に、真っ先に採用削減の矛先を向けられたのが、短卒→一般職というコース。短大卒業者の就職率を見ると、バブル期とバブル崩壊後のコントラストがあまりにもくっきりしすぎていて、興味深いものです。