入社数年に人生をかける
「家に入れば三食昼寝付きの上に、カカア天下で旦那は頭が上がらない」だから、女子事務職は、最終的には一番エラくなってしまう、などと揶揄する人もいたそうですが、これは言い過ぎだと思います。
彼女たちは、短期間しか会社勤めを知らず、頭脳明晰でも大学に通ったことがありません。そして、難関大学を出て総合職になった男性社員はエリートである、というかつての常識を、その見返りで自らも専業主婦でいられたという成功体験で、自分の中に取り込んでいます。だからなのでしょう。彼女らは、自らの子どもたちに対しても、良い大学への進学を勧めます。これが、大学進学熱が高まった二つめの理由だと、私は思っています。
さて、こんな周辺状況を知ると、いよいよ「クリスマスケーキ」の意味も理解できるのではないでしょうか?
20代前半でいい男を見つければ吉、さもなくば凶。だからみな入社数年に人生をかけている――少しオーバーに書いたところもありますが、大体は正しい話です。正直に言えば、そのころの多くの女性は、キャリアというものを本気で考える余裕がなかったはずです。
四年制大学より短大の方が偏差値が高い逆転現象
こんな時代だったから、当時は女性で四年制大学に進学する人が少なかった。だいたい10%強で、多くの女性は、高卒かもしくは短大卒という最終学歴で社会に出ていました(図表2)。
総合職として女性を採用する企業はほとんと見つからず、求人は事務アシスタントの仕事ばかり。だから、四年制大学の経済学部や法学部を卒業するよりも、秘書や事務の勉強ができる、もしくは家事育児が学べる短大の方が人気が高かったのです。
当時、学力に優れる女子高生が、四年制大学に行きたい! と言うと、親も教師も先輩も、例外なく、こんなふうに言ったものです。
「そんなことしたら、就職なくなるよ!」
このことは、60代以上の女性に聞いてみてください。みな、“うんうん”とうなずいてくれるはずです。
余談ですが、こうした優秀な女子が、こぞって短大を受験するため、当時の短大は今とは比較にならないほど、偏差値が高くもありました。立教女学院(短大)が立教大学よりも、青山短大が青山学院大学よりも偏差値が高いという四短逆転は、それほど珍しいことではなかったのです。
それでも、どうしても四大に行きたい、という女性もいたでしょう。そうした場合、四年制の女子大に通うケースが多くありました。そのため、これまた四年制女子大の偏差値も今より相当高く、東京女子大学や津田塾大学などの名門校は、早稲田や慶応に近い数字となっています(図表3)。
この時代に、大体、日本の大手企業で働く女子のスタイルが作り上げられてしまったのでしょう。
短大かもしくは四年制女子大を卒業し、事務職として会社に勤める。それも、たいていは腰かけで寿退職。どんなに長くても30歳が限界。だから、女子を長期的に育てていく、という考えが会社にはなかなか根付きません。当然、厳しく指導することもはばかられていくでしょう。それよりも、女子には難しい仕事を任さず、残業もなるべく頼まず、どちらかといえば、庇護し、そして、重要な仕事は男性社員に……。
今、会社で重要なポジションを占める上席者の多くは、80年代に会社に就職した人たちでしょう。ちょうど、こんな文化が浸透していた時期に、社会人としての薫陶を受けた世代なのです。