「税金の作文」を小中学生が書きたいだろうか

もう一つ、保護者は気づかないだろうが、現場を不必要に忙しくさせている「学校を通じた作品や児童生徒の募集」という悪弊がある。

例えば、国税庁からの依頼だと思うが、小中学生に「税金の作文」を書かせ、それなりの審査員を立てて、受賞者を表彰することが行なわれている。省庁からすれば一種のPR活動であり、国民に関心を持たせる広報行為だ。しかし、小中学生は本当に「税金の作文」を書きたいだろうか……私は疑問だ。税金を納めることは国民の義務だし、その教育を行なうことは否定はしない。しかしもっと知恵を絞れば、ゲームを使って広報するようなやり方もあるのに、とつくづく思う。

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ことほど左様に、児童生徒の募集や作品の募集が無数に学校を通じて行なわれるのだ。ポスターや募集要項が送られてくると、その都度、教頭が下駄箱の横の掲示板にポスターを画びょうでとめ、案内を各クラスの担任に配布する。

恐縮だが、私は校長として、学校を流通網として使う行為はほどほどにすべきと感じたので、ほとんどのポスターは貼らないで良いと教頭に命じた。もちろん、拉致問題のキャンペーンポスターなどは例外だ。

役所に勤める人なら知っている「収受文書」という曲者

役所に勤める人なら誰もが知っている「収受文書」というものがある。

はっきり言うと、教育委員会の官僚がこの件については学校現場に降ろしましたよと証拠を残し、何か問題が起こったときに自分たちが責任を問われないようにするための通達文だ。

教育委員会の「免責文書」と私は呼んでいる。

いじめについてはもちろんだし、「給食にこういう材料は使ってないよね」とか「図書室のこういう本は書庫にしまっちゃってね」とか「夏のプール指導はやり過ぎないでね」などという指導がごまんとくる。これらが教頭、生活指導主任、教務主任などを通じて各担当の教員に降ろされるから、忙しくなるのだ。

逆に、免責のための収受文書を教育委員会がゼロにすれば、学校の事務は相当軽くなる。結果、指導主事と教頭の教員魂をも蘇らせることができるだろう。

実はこれは、現法律下でも可能だ。