万博誘致はリスクの大きい賭けだった

こうして2025年の万博は大阪で開催されることが決まった。結果として成功したのだが、万博誘致は私にとって大きな賭けだった。私は2016年から世界各地を飛び回って誘致活動を行なってきたが、当然、それには相応の費用がかかる。

その当時から「誘致に失敗したら、どう責任をとるんだ」と私を批判する声は上がっていた。誘致に失敗したら責任問題に発展しただろう。旗を振った私や吉村市長の責任が追及され、我々の求心力低下は避けられなかったと思われる。

そうなると、翌2019年4月の統一地方選の大阪府議会議員選挙および大阪市議会議員選挙でも維新は打撃を受けただろうし、統一地方選に合わせた大阪府知事・大阪市長の「出直しクロス選挙」が実施できたかどうかわからない。2020年に実施された大阪都構想の賛否を問う住民投票が実現したかどうかもわからない。万博誘致は私や維新にとって、それほどリスクの大きな賭けだったのだ。

国とは対照的に大阪の自民党は終始、万博に反対

しかし、歴史を振り返れば、国際的なイベント誘致に失敗したからといって、当事者の首長がバッシングを受けた例はあまり見当たらない。たとえば大阪市は2008年のオリンピック開催をめざして大々的な招致活動を展開したが、2001年のIOC(国際オリンピック委員会)総会で北京に敗れ、招致は失敗に終わった。この間、オリンピック招致の旗を振ったのは、1995年から2003年まで大阪市長を務めた磯村隆文さんだった。しかし、招致に失敗した磯村市長へのバッシングは起こっていない。

では、今回誘致に失敗していたら、私や維新へのバッシングが起こり、政局になるところだったのはなぜなのか。それは大阪都構想を含め、維新が議会での馴れ合い政治を終わらせ、本気で戦ってきたからだと私は考えている。だから相手も私が失敗したら、責任を取らせると手薬練引いて待ち構えていたのだろう。

対して、オリンピック招致に失敗した磯村さんは、共産党を除くいわゆる「オール与党」の推薦で市長選に当選し、2期8年の任期を全うしている。招致に失敗したからといって、バッシングが起こらず、政局にもならなかったのは、オール与党という馴れ合い政治の結果だったのではないか。

安倍総理をはじめ国の自民党は万博誘致を全面的に応援してくれたが、大阪の自民党は終始、万博に反対だった。誘致に成功したあとは、賛成のフリをしているだけである。誘致に成功すれば「安倍総理のおかげ」といい、失敗すれば「だから我々は反対したんだ。松井の責任だ」と私を糾弾するつもりだったのだろう。

2025年大阪・関西万博開幕1000日前イベント(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

私は今回も本気で戦い、かろうじて賭けに勝ったのである。