手段であるはずの「玉砕」が目的と化した
広く玉砕は「玉のように美しく砕け散る」の意で使われるようだが、本来は「節義を守り、功名を立て、潔く死ぬこと」を意味する。前述した『軍人勅諭』の一節と同義といってよいだろう。そしてその対句が「瓦全」で、その意は「なにもしないで徒に生き長らえること」となる。この出典は『北斉書』元景安伝で、「大丈夫寧可玉砕、不能瓦全」=[大丈夫はむしろ玉砕すべし、瓦全あたわず=ひとかどの人物はいたずらに生に執着せず潔く死を選ぶべきだ]とある。
いつまでも苛烈な戦闘が続き、死というものが身近になると、この「玉砕」という意識が表面に浮かび上がってくる。すなわち、どうせ戦死するならば意味があり名誉のある死所を求めようとの心情だ。さらには部下に価値ある死所を与えるのが指揮官の責務だという意識にもなる。
本来、自己犠牲というものはある目的を達成するための手段であるはずだ。ところがいつのまにか、玉砕そのものが目的と化する。こういった目的と手段の混交は、どこの民族にも見られるものだが、言葉に酔いやすい日本民族ではとくに顕著のように思われてならない。そしてこの手段と目的の混交を一歩前に進めると、そこに組織的な「特攻」という戦い方が生まれてくる。
戦争を「自然災害」のように捉えてしまう
軍人としていたずらに瓦全はしない、決然と玉砕するという気概の具現がいつしか目的となったわけだが、どうしてそのような意識になるのだろうか。それはやはり日本民族の歴史に求めるほかない。
この日本はさまざまな自然災害にさらされ続けてきた。台風、地震、津波、火山の噴火と人間の力ではどうしようもない事態に直面し、仕方がないと諦観しなければ精神の安定が得られない。そして人為的な現象であるはずの戦争も、いつしか自然災害のように捉えるようになったようだ。そうした意識は神風特攻隊の創始者と語られている大西瀧治郎中将の辞世の一句「すがすがし 暴風のあとに 月清し」によく現れている。