「自己犠牲」の精神は日本特有ではない

日本軍が示した自己犠牲の戦例を見てきたが、それはなにも日本特有のことではないし、日本がとくに強烈だったというわけでもない。各国それぞれ、その国の歴史や伝統、風土に根差したヒロイズムを戦場で発揮している。それを日本人は、我が国だけの美風のように考えたところに問題があった。

海外の例をあげてみよう。昭和16(1941)年5月末、英軍はドイツ軍の進攻を受けたクレタ島から撤収することとなった。英地中海艦隊の根拠地であるアレクサンドリアからクレタ島までは400浬あり、クレタ島付近は英軍にとって絶望的な航空劣勢下にあった。そこから2万人近くを乗船させて戻ってくるのだから、大損害が予想される。これでは護衛艦隊もろとも全滅かとの憂色が司令部を覆った。

そこで司令長官のアンドリュー・カニンガムは、「艦船の建造には3年かかる。しかし、傷ついた伝統を立て直すには300年かかるだろう。だからクレタ島に行くのだ」と檄を飛ばした。イギリスが伝統とするシーパワーをもって陸上戦力を投射する戦略により、ブリティッシュ・アーミーの進退を保証することは、ロイヤル・ネイビーの伝統的な責務だというわけだ。こうしてクレタ撤収作戦は強行され、英陸軍1万8000人が救出された(ドナルド・マッキンタイア『海戦 連合軍対ヒトラー』関野英夫、福島勉訳、早川書房、1983年)。

敵陣の目の前で手際よく仲間を救助した米軍

こんな話も、東京湾要塞に勤務していた人たちの間で戦後長らく語られていた。

昭和20(1945)年、東京上空で損傷した米軍のB29爆撃機が東京湾口の浦賀水道に不時着水した。今日では防衛大学校が所在する高台を中心に広がっていた東京湾要塞の目の前でのことだ。すると搭乗員がゴムボートに乗り移ったかと思うと、砲台から眺めていた人の頭の上をなにか白い大きなものが通過した。カモメの群かと思えば、白く塗装した米軍の救難飛行艇だった。それが躊躇することなく着水し、搭乗員を機内に収容すると鮮やかに離水して沖合に消えて行った。

あまりの手際のよさにだれもが気を吞まれ、発砲の号令もかからなかった。すこしたって気を取り直すと、だれもが「いやー、たいした度胸の連中だ、声も出なかった」と語り合ったという。

このようにどこの国でも、「戦友のため」「勝利のため」と自己犠牲を厭わない思潮はごく普通だ。それに対して日本では、特異といえるのが「玉砕」という観念が強く意識されるところだろう。「玉砕」という言葉は、昭和18(1943)年5月にアッツ島守備隊が全滅したときから使われるようになった。全滅や敗北を喫したことを認めたくない、隠したいから「玉砕」と言い換えたのではない。