オシムは選手だけではなく指導者も成長させた

その後、オシムは病に倒れ日本代表監督から退いたが、小倉はコーチとしてそのまま残った。後を引き継いだ岡田武史とは、かつてジェフでお互いにコーチをした仲である。2010W杯南アフリカ大会出場を決め、本大会では二度目のベスト16進出を果たした。

主催国だった日韓W杯を除けば、他国の主催大会で初めての予選ラウンド突破である。その2年後には、U23日本代表のヘッドコーチとしてロンドン五輪で44年ぶりの4強入り。いずれも小倉がスタッフの一員として貢献したことは言うまでもない。

オシムは、選手だけでなく指導者をも成長させた。そのひとつの証左と言えるだろうそして、逝去からおよそ半年後に開幕したW杯カタール大会で日本はドイツ、スペインを下したものの、またもベスト16に終わる。4大会阻まれてきた8強への壁を打ち破るには、日本独自のサッカーの確立と効果的な育成が求められる。

「そのヒントというか鍵は20年前にオシムさんが渡してくれている気がします。これを活かしていかなきゃいけないのは、選手じゃなくて、僕ら指導者。指導者の意識改革が必要です。選手は指導者の映し鏡のような存在ですから」

つまり、選手だけが素晴らしく進化して、指導者はそうでもない、という状況はあり得ないというわけだ。

一流選手は増えたが、一流指導者が足りていない

20年前と比べ海外でプレーする選手は大幅に増えた。当時は欧州でプレーする選手は20人程度だったが、現在は100人超。レギュラーになって通用している数は数倍になる。

島沢優子『オシムの遺産』(竹書房)

「つまり、選手は世界レベルの環境でプレーしているわけです。しかし、残念ながら指導者がそこに到達していない。今後は欧州でキャリアを積む指導者が出てくるのが望まれる。ただ、現在は世界のサッカーは映像でも見られるし、体感しないまでもコーチングのヒントを探すことはできます。僕らはとにかく、新たなもの、異なるものを受け入れること。それを恐れないこと。これが重要だと思います」

新たなもの、異なるものを受け入れる――日本人が一番苦手なことかもしれない。そう考えると、異物そのものだったオシムを、小倉たちは受け入れるしかなかった。逆に言えば失うものがなかった。だからこそ、受け入れる勇気が生まれたのだ。

「それがどれだけ幸運なことだったか。指導をやっていると日々実感するんです」

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