「言葉の人」として記憶に残る野村克也の言葉
後に西武ライオンズに入団し、プロ野球選手として活躍したG.G.佐藤。現役引退後に父の経営する千葉県内の大手地盤調査会社トラバースに入社し、現在では従業員約200人を擁する組織の取締役副社長として、新規事業育成に日々奮闘している。
社内には野村克也から贈られた直筆の色紙が飾られている。
――念ずれば 花開く。
野村による筆文字が力強い。
「全国優勝したときの卒団式だから、平成5年12月ですね。《日本一記念》と書いてあるんですけど、野村監督が直接書いてくれて一人一人手渡されました。僕は大事に額に入れて、高校にも持っていきましたし、今でもこうして飾っています」
直接の指導は受けなかった。けれども、野村のことを師として尊敬する思いは常に抱き続けてきた。
「野村監督からは、“我以外皆我師なり”という言葉ももらいました。自分以外の人はみんな師匠だと思って、一度は意見を採り入れてみなさい。拒絶するのは簡単だけど、それを受け入れるかどうかはお前次第だ。最初から殻を閉じることはやめなさい。そんなことを言われました。僕にとっての野村さんは《言葉の人》です。言葉の力は本当にすごいなと思います。だから僕も、子どもたちに発する言葉には責任が伴うと思っているので、安易で無責任な言葉はかけないようにしています」
G.G.佐藤の北京五輪の苦い思い出
2008(平成20)年北京オリンピック―─。
G.G.は野球日本代表に追加招集され、その後、正式に代表入りを果たした。しかし、北京では生涯忘れることのできない「痛恨のミス」を犯してしまった。慣れないレフトを任され、準決勝の韓国戦では3失点に絡む失策を、3位決定戦となるアメリカ戦でも3失点に絡むエラーを記録してしまった。