防衛費増額は「賛成」、でも増税には「反対」
さて、これまで議論してきた通り、資本主義の下における近代的な政府は、防衛費の財源を確保するのに、増税する必要はありません。政府が債務を増やすことで貨幣を創造し、それを防衛支出に充てればよい。それだけの話です。
しかし、もし増税が不要だとすると、防衛力を増強するにあたって、国民は何も負担をしなくてよいのでしょうか。
この点について、考えてみましょう。
国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議は、次のように述べていました。
(国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議「報告書」)
読売新聞の世論調査(2023年1月16日)によると、防衛費増額のために増税をするという政府の方針に対しては63%が「反対」し、防衛費の増額に「賛成」した人(全体の43%)のうちでも40%が増税に「反対」という結果になりました。では、増税に反対した多くの国民は、「自らの国は自ら守るとの国民全体の当事者意識」を欠き、防衛力強化の負担を将来世代に先送りしようとしているという評価になるのでしょうか?
今を生きる日本国民が背負う真の負担
しかし、これまで述べたように、「防衛力の抜本的強化の財源」が増税である必要はまったくありません。財源(=貨幣)は、政府が自ら創造するというのが、資本主義における政府というものです。
では、増税が必要ないとすると、「自らの国は自ら守るとの国民全体の当事者意識を多くの国民に共有して頂くこと」は、必要ないのでしょうか。防衛力の抜本的強化のために、国民は何の負担もしなくてよいのでしょうか。
残念ながら、そんなことはありません。
国民は、追加的な税の負担はしなくてもよいのですが、別の負担を課せられるのです。
その負担とは、端的に言えば、高インフレという負担です。