ウクライナの壮絶すぎる「100年の歴史」

多くのウクライナ人を取材するなかで、たびたび言われた言葉がある。

「いまの戦争だけではなく、過去の歴史をどうか知ってほしい」

彼らの熱意に導かれるように、私はウクライナの100年の歴史をたどっていった。

ホロドモール、知識人の粛清、言語や文化の弾圧、秘密警察による監視、強制連行、強制収容所、ロシア化教育……。あまりの壮絶さに何度も途方に暮れた。

そして、今回の軍事侵攻は、そうした悲劇の記憶を否が応でも呼び覚ましているのだと教えてもらった。

「はるか遠い昔に起きた悪夢のはずだった。それなのに、いま目の前でまた同じ悪夢が繰り返されている」

さらに恐ろしいことに、こうした悲しい歴史は、長年、話すこと自体がタブーだった。見つかれば、秘密警察に連行され、処刑されるか、シベリア送りとなると、おびえていた。

「ソ連時代は、生き延びるためにすべてが嘘でした。密告者がどこにいるか分からず、家の中であっても、歴史の事実など話すことはできませんでした。秘密警察が家の玄関をノックしたら、二度と帰って来られないのです」(1935年生まれ ハリナさん)

「悲劇っていう言葉で表すのもすごく不十分」

誰かに語ることも、つなぐこともできなかったウクライナ人の悲劇の記憶。

去年始まった軍事侵攻を機に、それを取り戻す動きが始まっている。私たちが今回取材した、大阪在住のソフィヤさん(33)もそのひとり。家族に話を聞き、家系図も作りながら、祖国の歴史を調べてきた。手に入る公的な資料も限られているため、ウクライナ人は、自分たちの歴史は自分たちで調べなければという意識が強い。

写真=NHK
家系図を足掛かりに、ウクライナの百年をたどっていくソフィヤさん

農家だった曾祖母を絶望におとしいれた悲劇。ホロドモールが祖母に残した禍根。秘密警察やロシア化教育が、父や母に与えた影響。一族が経験した重たい現実が、一つひとつ明らかになっていく。そして、自分自身の中にも知らぬ間に受け継がれていた無意識のトラウマも……。

「これを悲劇っていう言葉で表すのもすごく不十分。犯罪以上のものだと思う」。

写真=NHK
ソビエト時代のウクライナの国語の教科書。「ロシアとウクライナの友情は永遠」だという挿絵が