毒親と娘の共依存

中学に入ると、テストの順位が出るたびに母親は、「なぜ100点が取れないの? 勉強しなかったの?」などと圧力をかけ続けたが、なぜか高校からは言わなくなった。上地さんが入学した高校では順位が出なかったからかもしれない。ただ、大学受験が近づいてくると、母親は「歯学部に入ったら?」と半ば強制した。

「当時、私には特になりたいものや自分の考え、夢がありませんでした。母のコントロール下にいましたので、母に言われたことと、資格職で食いっぱぐれないだろうとの思いから、進学先を決めました」

母親の恐怖支配から逃れたい気持ちもあり、上地さんは猛勉強してみごと歯学部に合格。

大学に入学すると、母親は「留年は許さないよ」「国家試験に落ちたら、その後はお金は出さないからね」と釘を刺した。無事、国家試験にも合格し、歯科医になった娘に、母親は得意げにこう言った。

「私の思い通りになった」

母親は友人や近所の人に、娘が歯科医になったことを自慢して回った。勤め先の歯科医院が決まると、勤め先まで言いふらした。

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「今から思えば、あんなに成績に敏感だったのに、母は私に勉強を教えてくれたことは一度もありませんでした。きっと教えられないし、一緒に頑張ろうという気がなかったんでしょう。『子供のための教育』って時々、親の自己満足になっていると思います。勝手に期待して、その期待に応えられないと怒って、その子の人権を踏みにじって怒りを相殺させるのです」

確かに、近年「教育虐待」という言葉ができたように、「子供のための教育」という大義名分が親の虐待を正当化し、エスカレートさせるふしがある。

「私の母のような親だと、子供はどんどん恐怖で洗脳され、どんどん深い傷になるのだと思います。私もそうでしたが、大人になっても脳裏に母の顔が浮かび、母ならどう思うかを判断基準にする習慣ができていました。ただ服を購入する時でさえです」

今でこそ両親のことを毒父・毒母と言う上地さんだが、自分の両親が“毒”だと気付いたのはつい最近のことだ。

「なんでこんなひどい目に遭っていながら、長い間気が付かなかったのだろうと思います。おそらく、共依存になっていたからですね。過去の自分に言いたいです。『あんたの両親は典型的な毒親よ! 早く距離を置いて!』と……」