「やっていけるだろうか」

吹雪の中、高速道路を走らせ、信州の家に着いたとき、すっかり夜になっていた。

母親はリビングのソファに腰を下ろすなり、テーブルの上にスリッパを履いたまま足を投げ出す。それを見た宮畑さんの妻は、かすかに顔を歪めた。

宮畑さんは妻の「やっていけるだろうか」という不安な気持ちを感じ取ったが、「今さらもう引き返せない」と思った。

母親に、親戚たちに無事着いたことを連絡するように言うと、母親は電話が通じた途端、お礼も言わず、親戚たちに対するありとあらゆる文句や不平不満を並べ出し、宮畑さんと妻はびっくり。母親のぞんざいな態度と罵詈ばり雑言を目の当たりにした宮畑さんは、早速、家に連れてきたことを後悔した。

母親によるトラブルはまだ序の口だった。翌日から宮畑さんと妻は、母親のわがままや無理難題に振り回されることになる。

「あれが食べたい、これは食べられない。こんな服や靴下じゃ寒いから買ってくれ、この部屋は寒い、トイレについて来てくれ、誰か一緒に寝てくれ……。何もわからない私と妻は、母の言葉にいちいち反応し、満足させようと走り回りました。男性との生活について聞いてみたところ、虐待に近い扱いをされていたと話していたので、母がおかしくなってしまったのは男性のせいだと思いました。原因となった男性から離せば、母は少しずつ元に戻るのではないかという希望にすがり、必死にケアしました」

信州では、知人に紹介してもらった甲状腺の病気に詳しいと評判の病院に母親を連れて行き、これまでの経緯を説明。

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「甲状腺も心配ですが、医薬品乱用の疑いも拭い切れない。まずは、薬の整理をすべきです。甲状腺、精神面、老人医療を考えると、まずは精神科で現在の状態を診てもらい、医薬品による影響を判断し、整理をすることが先決でしょう」

と医師に助言され、12月末に精神科を受診。脳や血流、認知症の検査などを一通り受けた。

数日後、宮畑さんは妻と母親を残し、年末の仕事を片付けるために、単身赴任先である東京へ戻った。