せっかく新築家屋を購入しても、まもなく手放さざるをえない事態は、僻地の限界分譲地でなくても起こりうる。しかし住宅ローンの返済期間内に、藪や蔦に埋もれ、ときには敷地が竹林と化してしまうような空き家は、他地域でもよく見られる光景なのだろうか。

タダでも住みたい人はいない…

昨今は、多くの自治体が「空き家バンク」を開設し、空き家の流通を促す試みが行われている。そうした自治体の空き家バンクでは、築30年に満たない「空き家」はめずらしい。そもそも築30年に満たない程度の築年数の「空き家」であれば、わざわざ行政の施策に頼らずとも、買い手がみつかるはずだ。

しかし、安価な「売家」が多数流通している限界分譲地においては、そうはならない。一見すればまだ使えるように見える空き家でも、なにかの不運が重なれば途端に見向きもされなくなり、早々に市場から脱落してしまう。

これは他の工業製品に例えると、高価な製品は故障品であろうと、修理されて中古品として粘り強く市場に流通する一方で、廉価品の故障品は、たとえ新しくとも中古市場では値がつかず、修理もされないまま廃棄されてしまう現象に似ているかもしれない。

かつて千葉県北東部は、全国一の競売件数を発生させながら、いまだに競売にすら掛けられていない空き家が、いたるところにある。立地の悪さだけでなく、開発の経緯や購入者の動機においても、少なくない限界分譲地は「終の棲家」としての役割を全うできるような「商品」ではなかったということになる。

家主不在の空き家は朽ち果てるまで放置される

空き家の存在が直ちに崩落や事故に結びつくわけではない。現在は居住者がいないだけで、やがて地域の不動産市場で流通するであろう家屋を、十把一絡げに「空き家」と呼んでいいものかという疑問はある。

しかし、今は築年数が浅いから空き家でも比較的程度がよく見えるだけで、このまま放置が続けば、やがては一般的な「空き家」同様、腐朽や崩落が始まるはずだ。空き家の放置がもたらすリスクはすでに広く語られているが、単なる景観や治安上の問題だけでなく、周辺住民に実害をもたらす例もある。

市当局からの度重なる指導によって現在はすでに解体されているが、八街市内に以前、半壊状態のまま放置されていた賃貸アパートの残骸があり、筆者はその模様を定期的にブログなどで報告し続けていた。

すでに壁も剝がれ落ち、いつ倒壊してもおかしくないアパートは、崩落が始まった頃から、強風で飛散した屋根瓦が近隣住民の自家用車を破損させるなどしていた。所有者自身がこうした損害に対処する余力がなく、10年以上にわたって放置された。

筆者撮影
10年以上、補修もされず放置され続けていたアパート。台風の襲来などで崩落が進んでいたが、現在は解体されている。(千葉県八街市朝日)

画像を見ただけでは信じられないかもしれないが、このアパートは1988年の建築物である。2010年代前半の時点で、すでに外廊下の崩落が始まっていたので、まともに賃貸物件として利用されていた期間はせいぜい10数年程度しかない。