「まるで奴隷だった」ボスニアに残る戦争の爪痕
「セルビア兵に息子を殺され、私は性的暴行を受けて、強制労働までさせられた。そのうえ大金を払う? あり得ない」。東部トゥズラ近郊に住むセムカ・アジッチさん(64)は、声を荒らげた。
加害者を有罪に追い込むだけでは、「復讐」は終わらない。精神的な苦痛を受けた代償として、慰謝料を支払ってもらう必要がある。多くの被害女性はそう考えている。だが、ボスニアでは驚くべきことが起きた。司法が、女性たちの「復讐」を阻んだのだ。
ボシュニャク人のセムカさんは北部の小さな村に住んでいた1993年、セルビア人兵士に自宅を襲撃された。捕虜収容所に連行され、兵士に何度もレイプされたという。当時19歳の息子は、セムカさんが連行されている間にいなくなり、遺体で見つかった。殺害された理由は今も不明だ。
収容所から解放され、自宅に戻っても、悲劇は終わらなかった。毎朝、セルビア兵はセムカさんらをトラックに乗せて連行し、強制労働に駆り出した。多くの場合、セルビア人有力者の農地で、農作業に従事させられたという。
「まるで奴隷だった」。セムカさんは振り返る。セムカさんの加害者は紛争後、当局に訴追され、懲役3年の有罪判決を受けた。セムカさんは2013年、弁護士の力を借りて、加害者に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
司法が阻んだ、女性たちの「復讐」
だが1年後、予想外のことが起きた。ボスニア・ヘルツェゴビナの憲法裁判所が、「加害者への損害賠償には時効があり、犯罪が起きてから5年以内に訴訟を提起しなければならない」とする決定を出したのだ。
セムカさんの訴訟は審理されることなく、却下された。そして、裁判所はその後、セムカさんに訴訟費用3000マルカ(約20万円)を請求した。
裁判所はこれまで、3度にわたって督促状を送りつけてきた。セムカさんは、うち2枚を破り捨てた。筆者に見せてくれた3枚目は、これから破って川に流す予定だという。
警察は強硬姿勢をみせる。セムカさん同様、敗訴後に訴訟費用を支払わなかった被害者の自宅に押し入り、金品を押収するケースもあるという。被害者への支援を行うNGO「TRIAL」のアディサ・バルクシヤさんは、「PTSDを抱え、紛争の後遺症と闘っている被害者に、『いつか警察がやってくる』という恐怖が増えた。自殺未遂をした被害者もいる」と憤りを隠さない。
セムカさんは決然とした口調で語る。「これ以上、私に失うものはない。警察が何か持って行きたいのなら、それでも構わない」