※本稿は、福島香織『台湾に何が起きているのか』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
敗戦で日本人が台湾を去り、中国人がやってきた
1945年8月15日、日本は無条件降伏し、第2次世界大戦が終結した。10月25日には台北公会堂(現・中山堂)で中国戦区台湾地区降伏式が行われた。中国全土を統治する中華民国は台湾をその版図に組み入れた。ここから、中華民国と台湾の歴史が重なる。
この日、日本内地から移り住んでいた日本人50万人は内地に引き揚げることになり、そして戦勝国として中華民国軍が新たな統治者として上陸してきた。残留の台湾住民600万人は、1952年4月28日の対日講和条約の発効をもって、国籍が日本から中華民国に一方的に変更され、中華民国台湾省の人間となった。
以降、大陸からやってきた中華民国人がいわゆる「外省人」とカテゴライズされ、それまで台湾で生きてきた漢人、原住民からなる「本省人」との対立「省籍矛盾」が先鋭化する時代が続く。
この引き揚げる日本人と、残る台湾人、新たにやってきた支配者への感情の悲喜こもごも、その後に起きる「二・二八事件」の悲劇については、侯孝賢監督の映画『悲情城市』(1989年)をぜひ、見てほしい。この映画は、それまで台湾でタブーとされていた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾人と日本人、そして外省人との関係を繊細に描いたことで、世界的ヒット作となった。この映画のロケ地となった九份は、映画の影響で台湾屈指の観光地となった。
祖国の統治者を大歓迎するはずが…
1945年10月17日、戦勝国として1万2000人の中華民国軍と官僚200人が米軍戦艦から台湾を接収するために上陸した。台湾人の多くが漢人であり、中華民国は「祖国」である。日本軍を打ち破ったという祖国の統治者を、台湾人は爆竹を鳴らし、銅鑼・鉦を打って盛大に迎えた……はずだった。
だが上陸してきた国民党軍兵士たちは、薄汚れた軍服、破れた綿入れを着込み、軍靴ではなく、草履や裸足でだらしなく、鶏のかごをつけた天秤を担いでいたり、なべ窯を背負うものもいて、だらだらと私語をしながら歩き、物乞いの集団のような様相だった。日本の皇軍のような規律正しい威風堂々たる軍隊を想像していた台湾人は、祖国歓迎のムードから、一気に覚めて失望が広がった。