苦渋の校長「陽性者が出たので(決勝は)辞退する」

花園へ続く県大会を順調に勝ち進み、いよいよ11月12日の決勝戦を迎えようとしていた。

相手は、地元・磐城地区大会で苦杯をなめていた勿来なこそ工業高校。ここ数年、覇権を争ってきた宿敵だ。今年度は敵の戦力が充実して、越えられない山になっていた。それだけに決着をつける時をみすえ入念に準備をしてきた。

しかし決戦を翌日に控えていた11月11日金曜日の夕方……。授業を終えた部員は大一番に備えて早く仕上げの練習をスタートさせたいが、監督がグラウンドに来ない。

「気が早って、始めようとみんなに声をかけたところに、ちょうど監督と講師の先生が歩いてきました。校長も一緒だったので嫌な予感がしました」

この約1カ月前の衝撃の出来事の真実を知るべく、12月半ばに同校を訪問した。木田主将が悪夢の瞬間をこう振り返った。

同校OBで1980年、初の花園出場時のメンバーだった佐藤芳弘監督(59歳、体育科教諭)も言葉を詰まらせる。

「あの日の昼間、部の関係者が具合が悪いと聞いて……。校長と歩いていって部員を見渡すと、(その表情から察するに)感染者が出たことをわかってないのだと感じました」

部員たちの表情は当初、練習に挑む前の気合の入ったものから、みるみる悲壮なものに変化した。監督も校長も同じだった。

「陽性者が出たので(あすの決勝戦は)辞退する」

校長はそう言った。副将の吉田光希君はその後の記憶がやや不確かだ。何が起こったのか理解できなかったのかもしれない。

撮影=清水岳志
右から吉田副将、木田主将、石川副将

「校長先生はたしか『3年生はやるせないと思うが、次の目標に向かってほしい……』と仰ってました」

木田君が付け加える。

「全員がその場で泣きました。ショックすぎて、何も考えることはできませんでした」

気丈にも木田君はキャプテンとしての務めを果たそうと今にもへなへなとなりそうな心身に鞭打って、部員たちの顔を見て話し始めた。

「今回出られなかったのは悔しいけど、3年は受験があるのでそこに切り替えてもらって……。後輩たちは僕たちの分も絶対に花園に行ってほしい、と言いました」

吉田君も同じことを言ったようだ。

「お前らなら、できる、って。ぐしゃぐしゃに泣きながら言ったと思います」

一方、もう一人の副将、石川和輝君は笑いながら振り返る。

「正月(花園出場)を見越して進む大学も(花園前に手続きを終える)指定校推薦など考えていたのに、全てが消化不良で終わっちゃった」

もはや笑ってごまかすしかないのだろう。