J1、J2でもなくなぜ「J3」を選んだのか
――どんな方でしたか。
【村井】こちらが緊張して名刺を出すと「秋に生まれたんで秋男。適当な親なんですよ」と和ませてくれる、気さくな方でした。
埼玉県坂戸市のお生まれで、県立川越高校出身。私は川越市出身でまさに隣町です。根岸さんは早稲田大学の理工学部で私は法学部。これだけ共通項があると、こちらとしては勝手に親近感を持ってしまうわけです。
根岸さんは保険の商品設計を担当するアクチュアリー(保険数理人)として明治生命に入社したにもかかわらず、自ら志願して営業の最前線に飛び込み、会社の合併(明治生命と安田生命)を経験された上で、私がチェアマンになる1年前の2013年に明治安田生命の社長になられました。
――J3は2014年度に12チームで発足しています。その時、タイトルパートナーになったのが明治安田生命でしたね。「明治安田生命J3リーグ」という具合に。
【村井】そうです。同じ年に明治安田生命さんはJ1、J2のトップパートナーになってくれたのですが、タイトルパートナーはJ3だけでした。なぜJ3なのですか、とお聞きしたところ、根岸さんからは
「明治安田生命は地域で生かされている会社ですから、J3を立ち上げるというお話を聞いた時、ぜひとも応援したいと思ったのです」というお答えをいただきました。
「私にとっては経営の師匠のような存在」
【村井】根岸さんは根っからのスポーツ好きで、発足から20年以上がたち、設立当時ほど熱気がなくなりつつあったJリーグを「なんとかしたい」という思いがあったようです。
しかしJ1、J2には発足時から応援してくれているパートナー企業がいたので、J3という新しいカテゴリーができるタイミングでタイトルサポーター(特別協賛企業)になる決断をされた、というお話でした。
――根岸さんは生命保険協会の会長も務められた生保業界を代表する経営者ですが、2005年の保険金不払い問題で会社がピンチになった時、企画部長として改革の最前線に立った方としても知られています。業界では「武闘派」とも言われています。
【村井】まさに一本筋の通った経営者で、「正々堂々の経営」「自由と責任は一対」というようなことを常々おっしゃっています。私がJリーグで掲げた「天日干し経営」も、少なからず根岸さんから影響を受けたところがあります。私にとっては経営の師匠のような存在です。