武器の提供はできない…日本の「力の体系」

では、「力の体系」についてはどうなっているか。

ウクライナのゼレンスキー大統領はロシア軍を撃退するために、武器提供を求めている。しかし、最も直接的な力の要求に、日本は応じることができない。2013年、それまでの武器輸出三原則に代わり、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、防衛装備移転三原則が定められた。それでも、殺傷能力のある武器をウクライナに供与することはできず、不用品扱いで自衛隊の防弾チョッキを送り、追加で市販品のカメラ付きドローンを送ったにすぎない。

写真=iStock.com/Vladyslav Severyn
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一見、ちぐはぐに見える日本政府の姿勢を筆者は、国益にかなったものと評価する。

「利益の体系」と「力の体系」において、国として譲れない一線を引いた日本国家の生き残り本能によるものだと思う。

日本が陥る2種類の“平和ボケ”

ウクライナ戦争を伝えるマスメディアの情報の扱いにも注意したほうがよい。

メディアに登場する国際政治や軍事の「専門家」と称する人々は、なぜ「価値の体系」しか見えなくなっているのか。その要因として2種類の“平和ボケ”があると筆者は見ている。

第1は、日本国憲法前文と9条があるから防衛努力をしなくても日本に平和は保たれている、そう思っている人たちだ。

第2は戦争のリアリティーがわからない人たちだ。ウクライナでは砲撃された人々が死に、飢えに苦しむ人々がいる。死体の焦げるにおいがあたり一面に漂っている。そうした戦争の実態を想像できず、弾の飛んでこない「安全地帯」にいる人たちが、戦争シミュレーションゲームの延長線上のように現実の戦争の話をし、武器や兵器の解説をしている。

むろん私たちは、ウクライナ戦争の直接の当事者ではない。そうであるならば、抑制的にこの戦争について語るべきだと思う。

両国に対しては、即時停戦をすべきであると強く主張したい。