「男は偉くなったらマニキュアが必要です」
バーバーショップには多くのVIP客が来ていた。元総理の麻生太郎さんは高倉さんと同じくらいの頻度で、バーバーショップ佐藤にやってきて、マスターとの佐藤さんとも懇意にしていた。麻生さんはもうひとつあった個室(高倉さんの個室より狭い)、もしくは店内の普通の椅子に座って、さいとうたかをさんの『ゴルゴ13』(リイド社)を読んでいた。他にも、ソニーの元社長、出井伸之さんをはじめ、政財界の有名人が来ていた。
店が閉店した今だから言うことができるが、顧客たちのなかで、若い従業員にやさしく接して、心づけを欠かさなかったのが高倉さんと麻生さんだった。他にお金持ちも来ていたけれど、ふたりは丁寧な言葉で話しかけ、若い従業員を元気づけていた。
わたしはその瞬間も見ている。
わたし自身、高倉さんに「野地ちゃん、ここで髪の毛を切りなよ」と言われたので、同店が閉めるまで、10年間、佐藤さんに調髪、髭剃り、マニキュアを担当してもらった。爪を切り、透明なマニキュアを塗ってもらったのは初めての体験だった。
佐藤さんから「男は偉くなったら外国人と握手する機会があるからマニキュアが必要です」と言われた。ただ、まだ偉くなっていないから外国人VIPと握手したことはない。
偉い人ではなく、無名の人を応援する人だった
高倉さんからは「床屋でも料理屋でも、紳士は心づけを出す」と聞いた。
聞いた以上は実践しなければならないから、以後、わたしも年末に佐藤さんにお礼を渡すことにした。そのことを佐藤さんから聞いたのだろう。ある時、高倉さんが「わかってるね」と褒めてくれたことがあった。
そんな思い出があるバーバーショップ佐藤の居心地の良さについては『サービスの天才たち』(新潮新書)という著書に書いた。
さて、わたしが言いたかったのは、高倉健はバーバーショップ佐藤でも、いきつけの寿司店、札幌の「すし善」でも、つねに若い従業員を応援していた。偉い人や有名人と交流しようとはせず、店主よりも若い従業員に声をかけていた。困っている人、若い人、無名の人を応援する人だったのである。
そして、麻生さんもそういう人だ。世の中では偉そうなおじさんと認識されているけれど、バーバーショップ佐藤で麻生さんが若い従業員にやさしくしているところをわたしは何度となく見たことがある。
そして、ふたりともに北九州の出身だ。
高倉さんは中間市、麻生さんは飯塚市である。遠賀川沿いの川筋者で、強きをくじき、弱きを助ける男だ。だから、困ってる人を見ると、助けずにはいられないのだろう。