2014年に83歳で亡くなった俳優・高倉健さんは、生涯にわたって「映画スター」という孤高の存在であり続けた。高倉さんはどんなふうに身だしなみを整えていたのか。『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)を出したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。(第4回)

伝説の理容室にあった「高倉健専用の個室」

高倉健が時間を過ごす場所といえば、品川駅前にあったホテルパシフィックの「バーバーショップ佐藤」だった。

撮影=山川雅生

バーバーショップ佐藤のマスターは佐藤英明さん。三島由紀夫、佐藤栄作元総理をはじめとする著名な人たちが佐藤さんの顧客だった。高倉健もまたマスターの技術と誠実さを愛し、長年、通っていた。

佐藤さんは高倉さんだけが利用できる8畳ほどの個室を作り、高倉さんは東京にいる間はほぼ毎日、そこにいた。一般の客は店内に並んだ椅子に座って髪の毛を切るのだけれど、高倉さんはつねに個室にいた。そして他人を招き入れることはなかった。

高倉さんは世田谷の自宅から車を運転してきて、ホテルに預けていた。1台ではない。十数台の車を預け、時々、乗り換えていたのである。ベンツもあったし、ジャガーもあった。三菱のパジェロもあった。ある時期、三菱自動車のアドバイザーをしていたので、国産車は三菱製にしていたのだろう。なにしろ十数台も預けているのだから、バッテリーが上がらないように、ホテルの担当者が時々、エンジンをかけていた。

そこはまるで秘密基地のよう

高倉さんがホテルパシフィックに愛車を預けていたのはスティーブ・マックイーンの影響だと思われる。マックイーンがビバリーヒルズにあるホテル「ビバリー・ウィルシャー」(映画『プリティ・ウーマン』の舞台)に車を二十数台、預けていたのを聞いて、「オレもやってみよう」と思ったのではないか。

本人にそのことを聞いたら、うっすらと笑ったけれど、何も答えてくれなかった。

高倉さんは個室で調髪をしたり、ひげを当たってもらったりした後は、映画の台本を読んだり、DVDを見ていた。

行きつけの床屋というよりも、高倉プロモーションのもうひとつの事務所であり、秘密基地のようにも使っていた。クローゼットがしつらえてあり、スーツや洋服もあった。映画で使った小物、記念品も置かれていた。なぜ、知っているかと言われれば、たった一度だけ中を見せてもらったことがあるからだ。

高倉さんは見たい映画があったら帽子をかぶり、サングラスをして佐藤さんを誘って近くにある品川プリンスシネマに行った。一般席ではなくプレミアシートを予約していたけれど、映画館にいた人は高倉健が来たことを知っていただろう。