桶狭間戦いの真実が見えにくいワケ

『信長公記』は質の高い史料であるといわれていても、やはり二次史料であることには変わりがない。一般的に、合戦前後の政治情勢はよくわかるのだが、肝心の戦いの中身については、一次史料で正確に把握することは非常に困難である。そもそも広大な戦闘地域で、一人一人の将兵の動きを観察するなど不可能に近い。したがって、実際に戦場に赴いた将兵からの聞き取りなどをもとにして、再構成するしか手がないのである。

渡邊大門・編『徳川家康合戦録 戦下手か戦巧者か』(星海社新書)

ほかにも、織田軍は今川軍が乱取り(掠奪りゃくだつ)に夢中になった隙を狙って、酒盛りをしていた義元を討ったという説がある(黒田:二〇一五)。この説は、『甲陽軍鑑』に基づいた説である。かつて『甲陽軍鑑』は誤りが多いとされてきたが、成立事情や書誌学的研究が進み、歴史研究でも積極的に用いられるようになった。

とはいえ、『甲陽軍鑑』は軍学書としての性格が強く、桶狭間の戦いの記述は、『信長公記』の内容とかけ離れているので、そのまま鵜吞みにできないと考えられる。

ほかにも桶狭間の戦いに関しては、さまざまな説が提供されている。しかし、史料の拡大解釈や論理の飛躍もあり、定説に至らないのが現状である。

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