83歳の母は骨折で2カ月入院、要介護5に

それは、春のお彼岸で帰省していた北沢さんの目の前で起こった。当時、母親は83歳。

「土曜日にゴミを出そうとした母親が、家の玄関で転び、大腿骨骨折をしたのです。後になって、『土曜日って、ゴミを出す日じゃないのに』って、気づいて。その時から認知症が始まっていたのかもしれません」

ここが、介護の始まりとなった。母親は骨折で2カ月入院することとなり、退院時に「要介護5」という判定が出た。退院後は、北沢さんが様子を見に帰りながら、一人で生活することとなった。だが1カ月後、家で尻もちをつき腰を圧迫骨折し、再度、入院となった。

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「この病院のソーシャルワーカーが、『要介護5が出ているのだから、すぐに介護サービスを使うように』とアドバイスしてくれて、ケアプランセンターを紹介してもらい、家に手すりをつけるなど、ここから介護サービスを利用するようになりました」

そもそも介護サービスに何のプランがあるなんて、必要に駆られなければ知る由もない。まして介護自体、どのようなシステムで成り立っているのかも。北沢さんには、何もかも初めてのことだった。

ケアマネジャーなどと相談して作り上げた母親の介護プランは週3回、午前と午後にヘルパー、週1回、訪問看護師が家に入り、週3回、デイサービスに出向くというものだった。

自宅を中心にした生活だが、毎日誰かが母親の状況を確認し、着替え、食事などの介助を行うという見守り体制が構築された。そして週末は北沢さんが東京から大阪に出向き、母親と家で過ごすという「日常」が始まった。

施設入所に激しく抵抗

母親をめぐる介護体制が出来上がった頃、せん妄や幻聴が見られたため、MRIを撮ったところ、海馬の萎縮が見られ、アルツハイマー型の認知症が始まっていることが確認された。

一時、せん妄が顕著になったため、ケアマネジャーと施設入所を検討し、運良く空きが出たものの、母親が施設入所に難色を示し、激しく抵抗したため断念、同じ生活を続けることとなった。

病院の受診は当初、母親をタクシーに乗せて連れて行っていたが、待合室の混雑が腰の圧迫骨折を持つ母親には耐えられないと判断し、以降、北沢さんが代理診察を行っている。