袋叩きにしたからといって問題は解決しない

二つめは、キャンセルの対象がきわめて恣意しい的なこと。批判を浴びるのはキャンセル可能な地位についた者だけで、まったく同じ言動をしていても、そのような立場を避けていれば過去は不問に付される。

ネット炎上が人格や人生を全否定する「私刑(リンチ)」に発展することがある一方で、事前に危険を察知し辞退すれば無傷というのは、どう考えても理不尽だ。東京五輪開会式をめぐる一連の騒動が象徴するように、その結末は「そして誰もいなくなった」だろう。

三つめは、有名人を袋叩きにしたからといって、問題が解決するわけでも、社会がよくなるわけでもないことだ。今回の件でなにかが変わるとしたら、著名人が「余計なことは話さない」「公的な仕事は断る」という教訓を学習したことだけだろう。

キャンセルカルチャーが広まる根本原因

だったらなぜ、キャンセルカルチャーが燎原の火のように拡がるのか。それは「気持ちいい」からだ。

徹底的に社会的な動物である人間は、不正を行なったと(主観的に)感じる相手に制裁を加えると脳の報酬系が刺激され、快感を得るように進化の過程で「設計」されている。それに加えて、下方比較を報酬、上方比較を損失と感じるから、自分より上の地位にあるものを引きずり下ろすことにはとてつもなく大きな快感がある。

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この快感は、テクノロジーのちからによって、匿名のまま(なんのリスクも負わず)、スマホをいじるだけで(なんのコストもかけずに)手に入るようになった。これほど魅力的で安価な「娯楽」はほかにないからこそ、多くのひとが夢中になるのだ(オバマ元大統領は、こうした理由でキャンセルカルチャーを批判している)。