11月6日は民主党の山岡賢次国会対策委員長が外国人参政権付与法案を議員立法で提出すると発表し、11日には断念するという右往左往をしています。11月15日には鳩山首相が思い付きのように東アジア共同体構想に言及し、翌年1月15日は陸山会事件で小沢一郎の元秘書から衆院議員となった石川知裕の逮捕もありました。

参議院の大きな影響力

さらに、鳩山が母親から巨額の資金提供を受けていたにもかかわらず、税申告をしていなかったことが発覚します。7年間で11億円あまりと巨額だったことに加え、鳩山が納付した贈与税の一部が課税時効として1億円あまりの金額が還付されたことは、鳩山首相に対する世間の評価を大いに下げてしまいました。

翌平成22(2010)年は普天間問題での閣内混乱で大荒れです。

小沢一郎としては、これでもイギリス型の近代政党をやりたかったのです。国家戦略室を作り、担当大臣を内閣に入れて民主党の政調会を廃止しました。政府への陳情は党に一元化し、陳情で政策が歪まないようにしようとしました。

すると、すべての権力を小沢が握っているようにしか見えなくなってしまいます。党内で総スカンを食らった形になり、鳩山内閣もろとも引きずり降ろされることとなりました。

鳩山内閣が簡単に潰れたのは、平成22年7月に参院選が迫っていたからです。混乱ばかりで何ひとつ実績は出せないうえに、景気も悪い。景気が良ければ、ある程度は許されたはずなのですが、無為無策のままです。

鳩山・小沢・輿石の3人で協議した結果、総理大臣退陣という流れが出来上がってしまいました。輿石は小沢にも引導を渡します。首相と小沢と輿石の3人が会談すると政権末期。そして、輿石が推した人物が次の首相になります。

「史上最悪」の総理大臣と呼ばれるワケ

鳩山退陣を受けて、平成22年6月4日、民主党代表選が行われます。副総理兼財務大臣の菅直人と樽床伸二が争い、菅直人がダブルスコアで新代表に選出されました。菅を後押ししたのは反小沢派、樽床を応援したのが小沢派と、党内は分裂含みとなりました。

平成22年6月11日、菅総理は衆議院・参議院の本会議で所信表明演説を行いました(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

代表選の後は、菅が小沢を追い落として政権を握り、菅内閣が成立しました。幹事長に枝野幸男を据えた新体制で参院選に臨みます。

菅内閣の発足当初の支持率は、60%に迫る数字でした。ところが選挙直前に菅が突然、消費税の10%への増税に言及したのです。ちなみに、野党自民党の石破茂政調会長は「公約泥棒」呼ばわりしていました。

菅は、令和の現在では「史上最悪」の総理大臣と呼ばれますが、東日本大震災がなければ普通にダメな人です。鳩山内閣で入閣する前は「イラ菅」のあだ名があり、気に食わない相手には容赦なく怒声を浴びせることで知られていました。