営業の河合にとっては、学校側の方向転換は正直なところ「やっかいな話」だった。「吹きこぼれ対策」という大義がなくなってなお「夜スペ」の存在意義が学校の中で保たれるのかという疑問がまずある。派遣する講師の人数も2倍に増やさなければならない。何より塾の命題である「志望校に合格させる」というハードルはもっと高くなる。


食事の不便がないように「夜スペ」の前には給食室が開放されている。弁当の価格は500円。さらに「冷たい弁当だけでは……」と地域本部のボランティアが交代で味噌汁を振る舞っている。和気あいあいとした雰囲気で女性講師(左から2番目)は完全に溶け込んでいた。

来春の合格実績が「夜スペ」とサピックスのその後を左右するのは間違いない。成功すればサピックスにとっては追い風になる。学校の新しいあり方として評価を集めるかもしれない。だが失敗すれば授業の質が問われることになる。ブランドも傷つく。少子化で塾業界は生き残りに必死だ。事の成否によっては塾のあり方が激変する可能性もある。

今のところ代田と河合がぶつかる場面は少なくない。だが、学校を多様な学びの得られる場として取り戻したいという思いは共通している。

「(塾の講師に比べて)学校の先生が劣っているとはまったく思わない。ただし忙しすぎる。そのサポートという意味で民間塾の活用の可能性は、方法次第ではありうるでしょう」

と、代田。

「学校は子どものものだと思う。そして学校に塾という立場で入っていく僕らは、子どもたちに『入試』を通して合格という笑顔を届けるのが使命」

と、河合。

学歴偏重と私立中学受験が過熱する中、東京の公立中学は、学力から家庭環境まで幅広い背景を持った生徒たちを抱え、受験対応から生活指導まで細やかに対応するには身動きが取れなくなりつつあるのが現状だ。それでも、公立こそがスタンダードであるという教育の本来の理想を手放さず、変えられるところから変えようとする大人たちは、それぞれの立場で本気である。

最後に河合は訥々と言った。

「今までありえなかったことをテストケースとはいえ、こうして実現していると、毎日たくさんの調整や変更すべき課題が出てくる。それをひとつずつクリアし、形にしていくことにワクワクしてる」

今日も39人の生徒が「夜スペ」で学ぶ。高校入試まで、あと2カ月。(文中敬称略・08年12月)

(初沢亜利=撮影)