結局安倍国葬は「びっくりするほど、あっさり終わる」

この日、全国の国公立学校は半日休校措置がとられ、官公庁では弔旗の掲揚が命じられた。公営ギャンブルも自粛・中止になった。

東京駅ではホームアナウンスで、黙祷が呼びかけられた。だが、足を止める人はごくわずかであった。何度も駅員が「黙祷の時間です」と促したという。銀座では銀座教会が追悼のチャイムを鳴らしたが、買い物客はほとんど無関心だった。産業界では、大阪門真市の松下電器本社や、東京丸の内の日立製作所本社では社内放送で黙祷を呼びかけた。

放送局は歌謡やクイズなどの娯楽番組、さらに「派手なCM」の放送自粛を決めた。差し替えになったのは、TBSでは「奥さまは魔女」、日本テレビの「そっくりショー」、日本教育テレビ(現テレビ朝日)の「ものまね合戦」などである。

この措置に対して、マスコミ関連産業労組共闘会議は言論統制として抗議をしたが、当時のフジテレビ村上七郎編成局長(後のフジテレビ専務、関西テレビ社長)は、「民放連の番組委員会で、あんまりひどい番組は同じ日に流せないだろう、各社の判断でいこうということになったが、政府から圧力がかかったなんて、そんな事実はない。わたし自身だって、このごろのCMは歌ものが多いから、せっかくの国葬のふんいきをぶちこわすと思っている」(朝日新聞10月29日付)などと述べている。

テレビを作る側の人間でありながら、当時の娯楽番組を「あんまりひどい番組」と自虐している点は、なかなかのものである。今回の安倍国葬の日、当時以上にお笑いなどバラエティー色が強い番組をずらりと並べているテレビ局はやはり“忖度”をするのだろうか。

日本武道館には、一般会葬者3万5000人が長い列をつくった。列は武道館から竹橋までおよそ2キロにもなった。また、自宅の大磯から出発した吉田氏の遺骨を武道館へと運ぶ計26台もの柩車の列を見るために、沿道には7万人が押し寄せたとの報道がある。

写真=昭和42年10月31日付日経新聞・夕刊
 

北の丸公園では、防衛庁儀仗隊が弔意の大砲を19発発射。武道館の見える場所では喪服を着た人が、正座をして合掌する姿もあった。一般の献花は午後3時半から午後7時半まで続けられた。

では、式当日の抗議行動はどうだったか。東京大学駒場キャンパスでは学生が、渋谷、池袋などの街頭では共産党や市民団体などがビラをまくなどの抗議を示した。31日付朝日新聞夕刊社会面では短く、吉田氏の地元高知の抗議活動を報じていた。

「吉田さんにはゆかりの地、高知県では高知市役所を除いてほとんどの官庁や学校は午後から休み、町では各官庁や金融機関が半旗を掲げ、吉田さんのめい福を祈った。しかし一般の人たちの反応は割合い静かで、民間企業や金融機関はほぼ平日通りの勤務。一方勤評闘争で名をはせた高知県教組は国葬に反対し、午後から各学校で抗議集会を行った」

国葬後は、抗議活動は沈静化。メディアは議論を引きずることはなかった。

27日の安倍国葬はどうなることか。費用は当初発表していた額を大きく超えて、警備費・海外要人の接遇費などを含め16億6000万円と報じられている。近年は、コロナ禍ということもあり一般人はもちろん俳優や企業社長など有名人であっても葬儀は簡素化の一途をたどって、参列者は家族などに限られ、合理的な予算に抑えられている。そうした中での“自民党主催”の無理くりの盛大な国葬である。

吉田国葬の時と異なるのはSNSなど、個々人が「メディア」を持っている点である。その点ではメディアや世論の動きを、興味深く見守りたいが、あれだけ批判にさらされた東京五輪も、終了後はさほどの検証がなされることもなく、世論も盛り上がらなかったことを思えば、まあ今回も同様に「びっくりするほど、あっさり終わる」のではないかと、私は冷ややかに見ている。

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