モラトリアムな学生が世界一をめざすきっかけは「クマ」
末付録の経営理念23ヵ条と並んで、僕にとって読み応えがあるのは、ユニクロ創業以前の柳井さんの姿である。柳井さんがどこにでもいそうなわりとフツーの若者だったというのが面白い。
学生時代の柳井さんは、映画、パチンコ、マージャン三昧。学生運動には馴染めず、ジャズ喫茶行ってみたり、アメリカを放浪したりして、まさに裕福な家庭に育ったモラトリアムな若者だった。「ゼミにも入らなかったので、3、4年になっても就職のことは考えず、できれば、仕事したくないな、と思っていた」……って、まるで自分のことが書いてあるようで、妙な親近感をおぼえた。卒業すると父親のすすめでジャスコに就職するものの、すぐに辞めてしまう。家に戻ってもブラブラしており、しょうがないから家業の紳士服店を継いだところからすべてが始まる。
僕は自分が極度のブラブラでズルズルでユルユルな学生だったこともあって、柳井さんの若い時期の話を聞いてみたかった。ある日、たまたま柳井さんと食事にいった機会に質問してみた。「あの『一勝九敗』に書いてあるような普通の若者が、どこでアパレル世界一とか売上5兆円とか、とんでもない水準を目指すようになったのですか。」
柳井さんがまだ山口で紳士服店をやっていたころの話である。業界紙に載っていた香港のファッション業界の大立者のエピソードがたまたま目に入った。カジュアル服のSPAで大成功したジミー・ライである。柳井さんと同世代で、当時30代前半。ライは子どものころ、共産中国から香港に密入国し、縫製工場の労働者として商売のノウハウを身に着けながらお金を貯めて自分の工場をつくる。グローバルなブランドの下請けから、ついには自身のブランドを築いた立志伝中の人物である。
柳井さんがたまたま目にした記事では、これから世界に羽ばたく若き成功者として紹介されていた。彼はなんと自宅でクマをペットとして飼っていたという。しかも毎朝家を出てオフィスに向かうときに、そのクマをクルマ(おそらくロールスロイスか何か)に乗せて同伴出勤をする。クマを社長室で遊ばせておく。そんなぶっとんだ経営者だった。
このエピソードを聞いて、普通の人ならどう思うだろうか。「すごいスケールの大立者だ……」か、「ペットのクマを連れて会社に来るなんて、バカじゃないの……」と思うか、このどちらかだろう。でも柳井さんは違った。「クマと一緒に出勤するなんてどうかしている。でも、アパレルというのはこんな人でも成功できる業界なのか」。そのときに柳井さんは「アパレルという業界はそういうものだ。天才でなくても成功できる。そうであれば、ひょっとしたら自分も世界一になれるのではないか……」と思ったという。