戦略のセンスをつけるにはノンフィクションがおすすめ
戦略のセンスを錬成する手段として、なぜ読書が優れているのか。情報があらゆるメディアにあふれている。しかし新聞やネットの情報の99%は「断片」に過ぎない。センスとは因果論理の引き出しなので、断片をいくら詰め込んでも肝心の論理が身につかない。たとえば新聞で「中国で景気が悪くなってきた」という記事を読んだとする。これは事実であるとしても情報の断片である。新聞やネットには景気が悪くなった背景のようなものは一応箇条書きで触れられている。しかしその背後にある因果論理までは短い記事から読み取れないし、考える材料としても物足りない。深みと奥行きに欠けるのである。
論理を獲得するための深みとか奥行きに相当するのが「文脈」(の豊かさ)である。論理は文脈の中でしか理解できない。情報の断片を前後左右に広がる文脈のなかに置いて、はじめて因果のロジックが見えてくる。あるテーマについてのまとまった記述がしてあるものを「本」と呼ぶならば、読書の強みは文脈の豊かさにある。紙に印刷されたものでも電子書籍でもよい。空間的、時間的文脈を広げて因果論理を考える材料として、読書は依然として最強の思考装置である。
あくまでも一般論ではあるが、戦略のセンスをつけるための読書としては、フィクションよりもノンフィクションが向いている。具体的な事実のほうが因果のロジックが強いからだ。フィクションだとロジックは作家のつくりたい放題なので、どうしても論理が緩くなる(余談ではあるが、友人に磯崎憲一郎さんという小説家がいる。彼の近作『赤の他人の瓜二つ』は、僕にとって久しぶりに文学の力を骨の髄まで感じさせてくれたすばらしい小説なのだが、普通の意味でのロジックはまるでない。完全にぶっ飛んでいる。時空間が歪んでいる。上質な夢を見ているような、それでいて現実世界の自分を見つめているような、素晴らしい小説である。しかし戦略ストーリーのセンスとはどう考えても関係がなさそうだ。こうした文学作品は本連載ではおそらく紹介しないと思う。磯崎さんは商社に勤めるビジネスマンでもある。非常に仕事もできる。本人の中でどう折り合いがついているのか不思議である)。