友人とのつながりを維持する労力を惜しまない

「友人との連絡を取り続ければよかった」という後悔は、友人とのつながりを感じられないときに感じるものである。この後悔を避けるためには、単に連絡を取り合っていればよいというものではない。一緒に楽しい時間を共有できているという実感が必要となる。特に自分の体の自由が利かなくなり、自分から会いに行くことができなくなったときに、「会いに行けばよかった」「もっと一緒に過ごせばよかった」と、この後悔を感じることになる。

友人というものは、何年かぶりに会っても、すぐに打ち解けることのできる存在である。友人とのつながりをなくすことは簡単であるが、つながりを維持するためには、ある程度の労力を要する。この後悔を避けるためにも、手紙やメール、電話等で、友人とのつながりを保つことはもちろん、それ以上に、友人と一緒に楽しいときを過ごす努力も怠ってはならない。

今はSNS等による文字や写真だけでなく、会議システムなどを使ったリアルタイム動画といったコミュニケーション手段を用いて簡単につながり続けることができる。これらを最大限利用するのもよいだろう。

「幸せなもの」に囲まれるためにはどうするか

「幸せをあきらめなければよかった」という後悔は、他者の意見や価値観にとらわれ、自分自身の価値に気づかず、自分の足りない部分を必要以上に重視し、現状の問題から目をそむけ、自分が幸せになるための選択を積極的にしなかったために生じる。その結果、自分自身のよい面を適切に認識することができず、現状に無理やり自分を合わせてしまい、「自分は幸せになるに値しない人間である」と幸せになることをあきらめてしまうことになる。

「○○でなければならない」という価値観にとらわれすぎていると、本当はやりたくなかったとしても、他人の目が気になり我慢してしまい、自分らしくない人生を歩んでいくことになる。「離婚は子供に悪影響を与える」という考えにとらわれすぎると、自分自身だけでなく、不仲の両親の元で育てられた子供にも大きな心の傷を負わせてしまい、家族全員が不幸になることもある。

暴力的、経済的、精神的なものなどのドメスティック・バイオレンスがあっても、「それ以外は素晴らしい人」と思い込むことで、パートナー間の信頼関係を破綻させる問題から目をそむけてしまい、不幸である状態から抜け出せないこともよくある。

私たちは、良いことや良くなることを考えることができるし、悪いことや悪くなることも考えることができる。そしてどちらも自由に選ぶことができる。それならば良いことや良くなることを考えたほうが幸せになれる。自分にとって幸せなことを考えたり、心地よいことに注意を向けたりすれば、必然的に「幸せなもの」に囲まれることになる。

自分の人生を後悔しないためには、自分自身のよいところや備わっているところに目を向け、自分にとっての幸せを考え、幸せになるための選択をするように心がける必要がある。