国民民主党は党としてのゴールを見失っている

野党陣営の対立軸はもっと分かりやすい。立憲民主党らの「支え合いの社会」と、日本維新の会の「身を切る改革」から生まれる自己責任社会は、菅前政権の時代に与野党の間にあった対立軸そのものだ。政界では選挙になると「野党の候補者一本化を」という声が上がるが、少なくとも立憲民主党を中心とした野党勢力と維新にそれを望むのはほぼ無理であり、やるべきでもないと思う。

つまり現在は、本来与党と野党の間にあるべき「目指すべき社会像」の対立軸が、与党と野党それぞれの内部にある、という難しい政治状況が発生しているのだ。

国民民主党は、小政党でありながら、党内にその対立軸の双方を抱え込んでいる。そして、個々の議員が自らが思い描く政権構想に基づいて勝手に連携相手を求め、もはや党として何をゴールとしているのか分からなくなってしまっている。

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自民党などと連携して、与党になって政策を実現するのか、野党として与党を倒して政権交代で政策を実現するのか。そのどちらに進むのかも分からない。支え合いの社会を目指すのか、自己責任の社会を目指すのか、それも分からない。

そんなあいまいな立ち位置が、なぜ自分たちには許されると考えるのだろうか。甘えが過ぎるのではないか。

選挙を経ずに自民にすり寄る国民民主党は有権者への裏切りである

国民民主党を含む野党陣営は、昨秋の衆院選で政権を取れなかった。ならば野党各党は、再び「次の衆院選での政権奪取」を目指し、権力の監視と「次の政権」に向けた準備に全力を挙げるべきだ。それが衆院選で示された民意である。こうした民意を無視し、選挙を経ずに権力にすり寄る玉木氏の行動は、民主主義のあり方として間違っている。少なくとも次の衆院選までは、野党としての立場を全うすることを忘れてはいけない。

一方で、いくら野党の連携が必要だとしても、自分の党が目指してきた社会像と真逆の政策を掲げる維新との連携を図る前原氏の行動も、また間違っていると筆者は思う。前原氏自身が5年前の民進党代表選当時から現在に至るまで掲げている「All for All」(みんながみんなのために)と照らし合わせても、維新の方向性は全く違う。

「All for All」に共感して前原氏を支持した人たちもいたはずだ。前原氏は、自らの理念・政策を、もっと大切に扱うべきだ。