「無理。展示するものなんて何もない」
そもそも「富野由悠季監督をテーマにした展覧会企画」を思いついたのは、青森県立美術館の工藤さんと、福岡市美術館の山口洋三さんという「ガンダム」世代の学芸員コンビでした。当初2人は富野監督やその周囲の関係者とつながりがなく、企画も具体的なものではありませんでした。
それでも、学芸員はいくつかの偶然を手繰り寄せます。時は2015年11月1日。場所は六本木ヒルズ。森美術館で開かれていた「村上隆の五百羅漢図展」の関連イベントとして富野監督は現代美術家の村上隆さんとトークショーを行いました。ここに工藤さんと山口さんがそれぞれ観客として参加。トークを楽しんだ後、2人は交流のあった村上隆さんから「たまたま」打ち上げに誘われます。座り位置が定められた打ち上げで、なぜか席替えがあり「たまたま」富野監督の隣に座る機会を得ます。
「千載一遇のチャンス!」。2人は意を決し、富野監督に「展覧会を開きたい」と直談判。ところが富野監督は「無理。展示するものなんて何もない」とその場で断りました。美術館から「あなたの展覧会を開きたい」と言われて、その場で却下する作家はそうはいません。工藤さんと山口さんは富野監督のあまりにつれない態度に面食らったそうです。
「概念の展示ができるなら、やってごらん」
ただ、富野監督は去り際にこう言い残していきます。「映画監督の仕事は演出です。演出とは概念である。概念は目には見えないから、展示できないでしょう?」。2人が返答に困っていると、富野監督は続けて「概念の展示ができるなら、やってごらん」と言いました。つまり条件をつけた上で、実現の可能性を残したのです。
「概念を展示する」
このこと自体は現代アートの文脈では珍しくありません。何を表現しているのか一見ではわからない美術品を置いて、観客側に思考を強いるタイプの展覧会もそのひとつです。
しかし、一般向けのアニメーション作品をつくってきた富野監督の「概念を展示する」という展覧会は、果たしてどんなものになるのでしょうか。
工藤さんと山口さんは展覧会の企画を本人にぶつけてしまった手前、この高いハードルに取り組まざるを得なくなりました。2人は展覧会の企画書を書き上げるのに2年を費やすことになります。
2017年11月。工藤さんと山口さんは東京のサンライズ第1スタジオで、富野監督と再会します。サンライズとは、『機動戦士ガンダム』シリーズをはじめ富野監督作品のほとんどを制作してきたアニメーション制作会社です。2人は2年をかけてまとめた企画書をプレゼンテーションしました。しかし、それでも富野監督は首を縦に振りませんでした。
どうすれば、富野監督を納得させられるのか。2人は企画をさらに練り上げるだけでなく、並行して全国の美術館に声をかけ賛同者を募る作戦をとります。そして富野監督の了解を得る前に、“開催予定”美術館を6館に増やしたのです。それに伴って担当学芸員も7人に増えました。