プロ野球の広島カープは、1990年半ば以降、資金力のなさから主力選手を他球団に奪われ、成績も観客の数も低迷していた。しかし、2016年からセ・リーグを3連覇し、観客動員数も好調だ。『マツダとカープ』(新潮新書)を書いた安西巧さんは、「社長兼オーナーの松田元さんが、およそ四半世紀前に始めた『育てて勝つ』戦略がようやく実を結んだ」という――。
セ・リーグ優勝報告会で、チャンピオンフラッグを手にファンと記念撮影する広島の選手ら=2016年11月5日、マツダスタジアム
写真=時事通信フォト
セ・リーグ優勝報告会で、チャンピオンフラッグを手にファンと記念撮影する広島の選手ら=2016年11月5日、マツダスタジアム

球団の資金力=チームの戦力だった時代

日本のプロ野球は1993年に導入されたドラフトの逆指名制度とFA制度によって、チームの戦力が球団の資金力に大きく左右されるようになった。

カネで有力選手に逃げられたチームは弱体化し、負けが嵩むことでファンが離れる。主催試合の観客が減り、テレビ中継の視聴率も下がれば球団の収入が落ち込み、それが一段と資金力を低下させる――こんな悪循環に陥ってしまうのだ。

FA選手の引き留めを行わないカープ

カープが1991年から四半世紀も優勝できなかったのは、まさにこうした負のスパイラルに嵌まってしまったからだった。

FA権の行使によって1994年の川口和久投手と1999年の江藤智内野手は共に巨人へ、2002年の金本知憲外野手と2007年の新井貴浩内野手は阪神へ、さらに新井と同じ2007年には黒田博樹投手も米大リーグ(MLB)へ去った。

ドラフトでは1998年に1位指名を決めていた地元広陵高校出身の二岡智宏内野手が巨人を逆指名。一方、外国人選手の争奪戦でも、2004年に強打の内野手だったアンディ・シーツが高額年俸を提示した阪神へ移籍する一幕があった。

主力選手が次々にライバル球団へ流出し、有望な新人にもそっぽを向かれたら、当然のことながらファンのフラストレーションは高じる。

「『どうして勝てんのか』という批判はまだしも、『ケチ』と言われることがつらかった」

当時を振り返って社長兼オーナーの松田元は苦笑する。