「45年連続黒字」は誇れることではない

東洋工業と松田家がたもとを分かったことは当然カープの経営基盤に影響する。

大企業の後ろ盾を失い、債務の保証など望むべくもなくなる。取引金融機関の視線は厳しくなり、単年度でも赤字を出せば即座に「経営危機」となる。

カープ球団は初優勝した1975年12月期から、新型コロナウイルスの感染拡大で主催試合の観客動員が4分の1弱に激減する直前の2019年12月期まで45年連続で黒字を続けてきた。

だが、オーナー兼社長の元に言わせれば、それは「黒字経営を続けなければ球団を維持できなかった」からだ。

官報などのデータをもとにカープの業績をたどると、1990年代半ばまで当期利益は概ね1億~2億円台だが、FAやドラフト逆指名が制度として浸透し、人件費の膨張に拍車が掛かった1999年以降、千万円台に低下している。巨人や阪神のように、先発メンバーに1億円プレーヤーを何人も並べる余裕などあるはずがなかった。

25年目にしてようやく芽が出た

「よそと違う方法を見つけなければといつも考えていた。広島のチームとして戦力を整えるためには、他球団は目を付けないけれども素質のある選手を見つけ、彼らを一人前に育てる。そうすればもう一度優勝できるチームが作れるんじゃないかと。ところが、それがうまくいかず、25年もかかってしまった」

2016年に四半世紀ぶりの優勝を決めた際、元は来し方をこう振り返っている。

その後、2018年までの3連覇を通じ、チームを支えてきたのは菊池涼介内野手や田中広輔内野手、鈴木誠也外野手、会沢翼捕手のほか、移籍した丸を含め、いずれも生え抜きの選手。菊池と田中を除けば高卒入団ばかりだ。元の「育てて勝つ」戦略は見事に実を結んだのである。

植民地地帯の建物の壁にドミニカ共和国の旗
写真=iStock.com/Anatoly Kireev
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「カープ・アカデミー」という奇策

人材育成は国内ばかりではない。1990年にドミニカ共和国に開校した「アカデミー・オブ・ベースボール」(通称カープ・アカデミー)は当時球団オーナーだった耕平の発案である。

1988年、MLBのウインターミーティング(マイナーリーグを含めた全チームが年末に来季の運営や有力選手の去就などについて話し合う会合)に参加した際、耕平は「大リーグの宝の山は中南米にある」とカープ自前の選手養成所の建設を思いついた。

ただ「アイデアはおやじだったが、実現したのは自分」と言うように、実際に現地へ足を運び、国情の調査から建設地の選定まで具体化したのは当時取締役オーナー代行だった元の任務だった。