「典型的な昔のサラリーマン夫婦ですよね」

夫婦ともに身なりはきちんとしている。家の中もきれいに片付いている。ただ、お互いに目を見つめて笑い合ったり、話し合ったり、ということが一切ないのは寂しい気がした。「楽しかったこと」も、それぞれがすべて一人で楽しんできたことなのである。

「典型的な昔のサラリーマン夫婦ですよね」と、車に戻った千場医師が振り返る。

「まちの診療所つるがおか」の千場純医師(撮影=笹井恵里子)

「ご主人は有能なサラリーマンで、現役時代はそこそこの収入があって、家を建てた。奥さんは子供を育て、家事を全て担ってきた。奥さんは今何とか家事ができていますが、できなくなった時にご主人が立ち往生する可能性があります」

千場医師は「一人で死ぬことと、孤立死は違う」と強調する。

「がん末期でひとり暮らしの60代男性がいました。がんの治療を受けているうちに転移が見つかり、やせ細って、自宅で動けなくなっていたところを民生委員が見かねて市役所に連絡し、私のところに連絡が入ったのです。急いで駆けつけ、さまざまなケアプランを提案したものの拒否され、『とにかく一人にしてほしい』と言うのです。極力邪魔にならないよう訪問を続けていたのですが、それから1カ月後に亡くなりました。ですが、息を引き取った後に多くの友人が偶然訪ねてきたのです。亡くなった状況は一人でしたが、寂しかったとは限らず、あえて一人で死を迎えたのかもしれません」

ひとりきりの終末期を過ごしたほうが安らかなことも

反対に、周囲に人がいても家族から孤立していく中で迎える死のほうが悲しさを感じるという。

「がんを患い、自宅にいることを希望する夫に対し、それを拒否する妻もいました。『夫は亭主関白で、これまでさんざん苦労させられた。これ以上苦労をかけさせられたくない』と言うのです。本人が適切に夫婦関係を保てなかった結果ということもありますし、家族の都合で患者さんの意思を尊重せず、無断で療養場所を決めてしまうこともあります。そんなつらい目にあうくらいなら、ひとりきりの終末期を過ごしたほうが安らかに死を迎えられるかもしれません」

その時、私は考えた。もし自分が妻側の立場、つまり死に向かう患者で、だんだん家事や日常生活が普通に送れなくなって、それでも家で過ごしたいと思っても、この夫のように家族が無関心で何もしてくれなかったら、どうしたらいいだろう。

「地域の訪問看護ステーション(訪問看護を行う看護師や保健師、助産師などが所属している事業所)を探して、利用してください」

と、地域支援担当の看護師の佐藤清江さん(まちの診療所つるがおか)は言う。