民主党政権が短命に終わったのは参議院のねじれ

ここから、民主党政権時代の鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦の各内閣がなぜ1年で潰れたのか理由をお話しします。鳩山由紀夫内閣が潰れた理由は、普天間基地移設問題を巡る混乱などにより、参議院選挙前に内閣支持率が21%と下がっていたため退陣に追い込まれました。

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菅直人内閣が潰れた理由は、菅直人の性格が悪いことが問題だったわけではなく(本当にそう考えている人もいますが)、参議院のねじれが原因でした。野田佳彦内閣も同じ理由で潰れました。

衆議院には予算の先議権があり、衆議院が予算の決定権を持っていることになります。ですが、昭和50(1975)年以降は赤字国債(財政赤字などを補填ほてんするために、税収だけでは足りない分を資金調達のために国が発行する国債)の発行が常態化しています。赤字国債は国家予算の半分を占めており、発行できないと歳入に穴が開いて予算執行ができません。その赤字国債を発行するためには、特例公債法を通す必要があります。

予算そのものに関しては衆議院が優越しますが、特例公債法は一般の法律の扱いです。一般の法律は両院の可決が原則として必要です。参議院で法案が否決されても、与党が衆議院で3分の2の議席を持っていれば再可決し、法案を通せます。ですが、衆議院で3分の2の議席を確保するのは至難の業です。

つまり、参議院の過半数を野党が握っている状態だと、特例公債法を通すために与党は頭を下げなければいけません。民主党が与党の時代は、自民党が参議院第一党になっていました。菅直人と野田佳彦は特例公債法を通すために自民党に頭を下げて、総理大臣の首を差し出したわけです。

もし民主党が野党第一党からも落ちていたら…

平成24(2012)年、野田佳彦内閣は通常国会で消費税増税を通した後、特例公債法案を可決しないまま9月8日に閉会してしまいました。この通常国会の後半には既に予算枯渇が始まり、地方交付税や国立大学教員の給料の遅配などの行政麻痺が起きていました。特例公債法がようやく成立したのは臨時国会解散の当日、11月16日でした。

参議院の国対委員長だった自民党の脇雅史は「特例公債法をぶっ潰して解散総選挙に追い込んでやる」と宣言し、見事その通りにしましたが、国家崩壊が始まっていることを理解していなかったのでしょう。

野党の時の自民党は「政権を取る」という意欲以外に、褒めるところがありません。

平成24年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で、民主党は173議席を失うボロ負けをして壊滅します。一気に57議席まで転落しました。

この時、日本維新の会が54議席。友党だったみんなの党が18議席です。もしここで維新とみんなが合党までできなくても、院内会派を組むだけで野党第一党を奪えました。しかし選挙前からこの両党は主張が強くて妥協できず、院内会派すら組めませんでした。もしここで動きを起こせていれば、その後の日本の憲政は大きく変わったでしょう。