自殺を計画する

不登校になった中2のある夜の出来事を、山添さんは今も忘れることができない。

母親が眠っている山添さんの部屋に入ってきて、両手で首を絞めた。「死ね! 死ね! 何で生まれてきたんだ!」。山添さんは、鬼のような形相で何度も叫ぶ母親に驚くばかりで、されるがままになっていると、母親は部屋を出ていった。

写真=iStock.com/Serghei Turcanu
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「母は(私の首を絞めた)手にほとんど力を入れていませんでした。だから殺意のようなものは感じなかったんですが、その代わり、『自分で死ね』と言われている感覚でした。母は『お前なんて産まなければよかった!』と何度も口にしていました」

山添さんの父親は、物心ついた頃から山添さんに対して攻撃的だったが、母親は山添さんをとてもかわいがっていた。山添さんがねだると、近所のレストランに連れて行ってくれたり、お弁当を作って野山でピクニックをしたり。小学校4年生の頃には「犬を飼いたい」と言っていたら、友人から子犬をもらってきてくれたこともあった。また、小学校低学年くらいまで小児喘息を患っていた山添さんが、1〜2カ月に1度ほど高熱を出すと、母親はずっと山添さんについて看病してくれていた。

しかし、そんな母親は、夢か幻だったのかとさえ思える。

「何度も自殺を考えました。ホームセンターにロープを買いに行き、『自殺しました。発見された方や死体処理する方にはご迷惑をおかけします』という趣旨の遺書を書いて、ロープで首をくくろうとしましたが、首が痛いし苦しいし、あまりに怖いので断念しました。生きるのはつらい、でも死ぬこともできない。ただ悩むしかなかったんです」

父親への暴力

同じ年の別の日、仕事から帰宅した父親が、山添さんの部屋に入ってきたかと思うと、無理やり部屋から引っ張り出そうとしてきた。

いつものように父親は無言で、容赦なく山添さんを殴る。しかし15歳になっていた山添さんは、それに抵抗する形で初めて父親に拳を上げた。一度上げた拳は止まらなくなり、渾身こんしんの力で父親を殴ったり蹴ったりした。

兄たちはまだ帰宅していなかった。息子から反撃に遭った父親は、「救急車呼んで! 助けて!」と母親に向かって助けを求めた。

「今まで父は、散々私に暴力を振るっておいて、やり返されたら被害者面するのかと思い、とても嫌な気分になりました。おそらく私は警察に突き出される。なのに、今までずっと私を殴ってきた父親は罪をとがめられないのかと、とても理不尽な思いがしました」

しかし母親は、警察も救急車も呼ばなかった。この夜の出来事を誰にも言わないように、父親を説得したのだ。

「母の行動は、息子である私のことを守るためだったと思いたいですが、いじめを受けて窮地に陥っていた私への食卓排除や首絞め、暴言などを考えると、ただ単に、自分の家庭にひきこもりや家庭内暴力などがあることが世間に知られることを恐れたとしか思えません。『ひきこもりになってしまった息子を、世間にバレない形でどうにかして厄介払いしたい』という気持ちだったのだと思います」

そんな希望のない日々を送る山添さんの唯一の楽しみはパソコンだった。次兄のパソコンを小学校の頃から触らせてもらい、使い方を覚えた。中3の時には、絶縁状態の親が専用のパソコンを買い与えてくれ、インターネットの世界にハマっていく。

家族と顔を合わせるのも嫌だった山添さんは、要望があるときは紙に書いて食卓に置いておくのだ。そうやってパソコンを手に入れた山添さんは、世界中のひきこもりの人たちと出会い、親交を深めていった。