被害者意識と加害者意識のシーソーゲーム

まずはこんな雰囲気の中「怒り」が芽生えてきました。そして、その怒りに身を任せていると、「俺に移した奴は誰だろう」と感染経路を探りながら「犯人捜し」になってゆきます。

ところが、です。

これがしばらくすると、今度は「自分がキッカケになって誰かに感染させてしまったのではないか」という気持ちへとシフトしてゆきます。

つまり、「俺に移した奴は許せない!」という「被害者意識」と、「私に移された人に申し訳ない」という「加害者意識」との間を行ったり来たりするようなフラフラした心持ちに襲われてゆくのです。この両側ドライブのシーソー気分は今まで味わったことのないものでした。

いつの間にか「犯人捜し」が「自分が犯人だったのでは」という流れに逆転するような感じでしょうか。

ただ、ラッキーだったのは、逆算して接触のあった方すべてに連絡を入れたのですが、幸い一人として感染した様子のある方はいなかったことでした(その反面、カミさんはやはり陽性反応、そして長男はPCR検査もできないほどひっ迫した中、「みなし陽性」と認定されてしまい、家族とはいえ迷惑をかけてしまったなあという負い目にやはり駆られてしまう形となりました)。

写真=iStock.com/ALEKSEI BEZRUKOV
※写真はイメージです

かようなまったく落ち着かない日々を強制させられたような形でしたが、右往左往しながら、結果として「コロナと対話」していたのかもしれません。

そんな中、「疝気せんきの虫」という落語を思い出しました。

病気と対話する古典落語「疝気の虫」

あらすじは……

医者が妙な虫を見つけてつぶそうとするところから、虫との対話が始まります。その虫こそが『疝気の虫』でした。主に男性の腹の中に入り激痛を与えるという今の医学で言うならば「結石」の類でしょうか。

対話の中で虫が「蕎麦が大好物」「唐辛子が苦手で、触れると死んでしまうこと」「唐辛子を避けるために虫は陰嚢の中に逃げ込む」と訴えたところで、医者は目を覚まします。「なんだ夢か」と思う間もなく、「疝気」に悩む患者から往診依頼が来ます。

医者は夢で聞いたことを実践してみようと思います。

疝気に苦しむ主人の妻に、医者は「蕎麦の匂いを主人にかがせながら食べなさい」と言います。言われた通りに妻が蕎麦を食べ、主人の口元に息を吹きかけていると、疝気の虫が蕎麦の匂いを頼りに主人の身体の中を這い上がってきます。

そして、蕎麦を食べているのはその妻だと悟ります。虫は主人の口から飛び出し、向かいにいる妻の口の中を通じて体内に飛び込んでゆきます。

今度は妻が疝気の痛みに苦しみ始めたところに、医者は妻に唐辛子を溶いた水を飲ませます。さあ、一番苦手な唐辛子が上から振ってきたので疝気の虫にしてみれば一大事。一目散に下がってゆき、陰嚢を目指すのですが……」。

とまあ、下ネタに近い落語ですが、師匠の談志の十八番でもありました。

オチが「別荘はどこだ」と、陰嚢を別荘と呼び変えるあたりに先人の落語家たちの品格すら感じる作りになっています。