コロナはリマインダー

この落語を通じて、談志は「病気とも対決するのではなく、対話してみろよ」と提案していました。

「ガンとも対話してみろよ。エイズなんて新参者だ。俺たち梅毒はすげえぞと梅毒が言っているぞ。『俺たち梅毒はニーチェやりゴーギャンより、すげえんだ。ロック・ハドソン(エイズにより死亡)やったぐれえでガタガタ言うな』と。その脇で淋病がそうだそうだと頷いている」などというネタも作ってしましたっけ。

対話は対決とは真逆の平和的手法であります。相手の言い分にまず耳を傾けてみることから始まります。

「なあ、コロナ。お前、人類をどうしたいんだ?」
「どうもこうもないよ。俺たちはウィルスを撒き散らかしたいだけだから」
「かといって、俺たち人類にも都合があるんだよ」
「だから、俺たちだって、重症化しないようにまんべんなく行き渡るようにこれでも気を使っているんだよ」
「勘弁してくれよ、こっちだってこの二年間、仕事はなくなるは感染するはで悲惨なんだよ。おまけに軽症で済んだとはいえ、後遺症の咳が若干残ってる」
「それだよ、それ」
「なんだよ?」
「まだわからねえのか? 俺たちは人類のリマインダーだってこと」
「リマインダー?」

つまり、コロナは「リマインダー」だったのです。感染した人はみな「持病が悪化した」と言っています。実際私も、咳が抜けず「俺はやっぱり慢性上咽頭炎なんだなあ」という持病に改めて気づかされました。

アジアの男性は喉の痛みがある
写真=iStock.com/RyanKing999
※写真はイメージです

コロナで日本の問題があぶりだされた

幾分飛躍させてみましょう。

個人=「ミクロの持病の悪化」は、「前例が上手くいったのだから、それ以後もうまくいくだろう」という、日本社会=「マクロの持病の悪化」なのでは、と。

「3回目のワクチン接種の遅れ」というのは、くしくもコロナによってあぶりだされた「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の喩えの通り、「日本人の宿痾しゅくあ」にすら思えてきたのです。

つまり、コロナは、「個人の体質の弱さ」のみならず、この国のコミュニティ全体のウィークポイント(すなわち反省材料)を可視化し、露呈させた存在だったのではないでしょうか。この二年間、そう訴え続けてきたリマインダーこそコロナだったのかもしれません。

これがコロナとの対話によって浮かび上がってきたことです。