次に、「させていただく」が持つ矛盾に目を向けてみましょう。元来、「させていただく」は話し手が主語で聞き手に言及しなくてよいという敬避性を備えているので遠隔化ストラテジーが作用します。しかし実際の用法では、相手の存在や関与が意識される動詞と一緒に使われると、違和感が小さく受容度が高いことがわかりました。これは共感性、つまり近接化ストラテジーの効果が加わったからです。

「させていただく」は人との距離をとる意味では敬語と同じ働きをしていますが、運用において近接化を帯びている点が従来の敬語とは異なります。ここでは、そうした遠近両方の性質を持つ「させていただく」を「新・丁重語」と名づけました。「新」を付けることによって、距離をとるだけの「丁重語」と差別化したかったからです。

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気遣いのつもりが慇懃無礼になってきている

後ろの形が言い切り形に定型化すると使いやすくなり、私たちの注意は前にくる動詞にシフトします。そして、便利に使えると思って色々な動詞と一緒に使ってきたわけです。でも、ふと後ろを見ると、コミュニケーションが固定化していることに気がつきます。対人配慮が「合理化」されて多様性を失い、「させていただく」フレーズ全体がコミュニカティブな意味合いを失っているのです。

椎名美智『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)

これはコミュニケーションにおける矛盾です。すなわち、コミュニケーションは近接化を図ろうとする行為であるにもかかわらず、そこで最も遠隔化効果の高い「させていただく」を交渉の余地のない言い切り形で使用しているからです。これはコミュニケーションにおいて、アクセルとブレーキとを同時に踏み込むような行為です。「させていただきます」には、ここにも相反する方向性が内在しています。そのことは「させていただく」が人々によく使われていると同時に、人々が違和感を抱く要因の一つになっていました。

ものごとには良い面と悪い面があります。「させていただく」を使うと絶妙な距離感が取れるので若年層に好まれているようです。しかし、アクセルとブレーキを使って微妙な距離感が調節できて便利だと思って使っているうちに使いすぎて、気遣いをやりとりしていたはずが、慇懃無礼になってきているのかもしれません。日本語は文の後ろの方で話し手の態度を示すので、終わり方にもバリエーションが必要だということです。