戦後、最も重い決断を迫られた総理
1月19日、菅直人はツイッターで
と書いた。いわゆる「ヒトラー投稿」はこの2日後だ。
菅直人はいわゆる「団塊の世代」「全共闘世代」である。自身はセクトには入らなかったが、学生運動はしていたので、セクトとは対峙した。万一、襲撃された時に備え、
けがや、場合によっては死が、リアルに身近にあったのだ。
さらに3.11では、首都圏を含めた東日本が放射能に汚染される事態を想定し、決断を迫られている。
口では「国のために命をかける覚悟」などと勇ましいことを言う政治家がいるが、戦後、自衛隊や警察・消防をはじめとする公務員に対し、命の危険があると分かっていて現地へ行くよう指示したのは、菅直人だけだ。自衛隊の海外派遣は、建前上は安全な所にいくことになっているが、菅直人は暴走している原発へ行けと指示せざるをえない事態に向き合い、最も重い決断をした。
しかし、それを自慢することはない。
維新とは「討論」にならない
27日の「闘うリベラル宣言」の翌日、菅直人に会う機会があったが、「宣戦布告をしたからな」と意気軒昂であった。
維新とは、「公開討論」をしても「討論」にならないと判断している。質問してもはぐらかし、切り返し、まともな議論にならないと踏んでいる。
実際、菅直人が維新の政策にある100兆円規模のベーシックインカムについて財政的に実現可能なのか問うと、音喜多駿議員は説明せず、「公開討論会をやりましょう」と言うだけだ。菅直人はそれに応じる気はない。
いまのところ、維新に対する研究をして、そこでの疑問をツイッターに書き、可視化していく戦術をとるようだ。
また今回の騒動で、菅直人の維新に対する姿勢に賛同している議員も出ているので、連携をとっていくだろう。
2月1日に維新の会共同代表の馬場伸幸が抗議文を持ってやって来ると、同日15時04分、菅直人はこう報告する。
敵を知らなければ闘えない。
まだ研究不足・認識不足なのは否定できず、1月19日のツイートでは、大阪都構想についても細かい点では間違った内容を書き、大阪市長と大阪府知事を間違えたこともあった。
馬場共同代表からも「大阪のことを勉強してくれ」と指摘され、「いま一生懸命勉強してます」と答えていたように、本を読んだり詳しい人から聞いたりして、勉強し、その過程もツイッターに書いている。
「俺は何でも知っている」と威張らないのも、いかにも菅直人らしい。
ツイッターでは揶揄するコメントもあるが、元総理でありながらまったく偉ぶらないのが、菅直人なのだ。
馬場代表が帰った後、維新について詳しい、れいわ新選組の大石あきこ議員と会い、情報交換をしている。
大石は同日19時59分にツイッターに
と書いている。
闘いは始まったばかりだ。