だれが日本公演を提案したのか

鼻歌(曲名はわからず)を歌っていたポールが「録音の準備できた?」とわたしを見た。

「はい」と答えたとたん、インタビューは始まった。出たのは緑茶が一杯だけだった。

——さて、あなたが永島さんと初めて会ったのはいつでしたか?

【ポール】日本に最初に行ったとき。何年だったかな?

——1966年です。

【ポール】1966年……。ああ、そうか。初めての日本ではとても興味深い経験をした。今まであんな多くのポリスを見たことはなかったから。(日本にいた間)ぼくたちはほとんどタツだけとやりとりをした。アメリカ育ちだったのが楽だったね。英語は堪能だし、ぼくらのやり方をよく理解してくれた。だからいい友達になったんだ。それが最初に会ったときかな。

——ビートルズ来日公演を最初に提案したのは誰でしたか?

【ポール】(マネージャーの)ブライアン(・エプスタイン)が決めたんだ。ブライアンが「日本に行くのはいいんじゃないかと思うんだけど」って言ったから、ぼくらは「まかせる」と答えた。するとブライアンは行くのか? 行かないのか?」なんて聞いてきて。あの時、ぼくらが「ノー」と言えば強制されることはなかった。

ポールがいちばん驚いた「日本の文化」

「オー? ジャパン? いいんじゃないの。いい感じだね」って返事した(笑)。その後、たしかオーストラリア(実際はフィリピン)に行く予定が入ってたんじゃないかな。同じ地域ならぼくらは楽だから。

『ビートルズを呼んだ男』より
埼玉県入間郡にあったアメリカ軍ジョンソン空軍基地での一枚。将校クラブ支配人だった永島はまるで俳優のようだと評された。

ブライアンは「日本に寄ってみるといいんじゃないか。ファンがたくさんいるよ」とも言った。

だからぼくら4人ともオーケーしたんだ。その当時、イギリスと日本はほんとうに文化が違っていて、びっくりした。だって、30年も前なんだよ。

ファンは変わらなかった。女の子たちは世界中どこでも一緒。とっても似ているんだ。

ただ、文化は違っていた。例えば、ぼくらがいたホテルでのこと。女性が男性のために立ち上がったときは本当にびっくりしたね。

タツではない日本人の大物プロモーターが会いにきた。するとそこに座っていた女性がさっと席を譲るんだ、その男性にね。信じられなかったよ。なんだよそれ、って感じ。
イギリスに帰ってからガールフレンドにその話をしたら、すごく気に入らないって言ってたね。

それでも滞在はとても興味深かった。文化の違いに触れたのだから。あ、そうだ。ほとんどの時間はホテルの中に閉じ込められていたんだ。